で、国際テレホンカードを買うついでに、気分転換も兼ねてセーヌ河岸で行われている「パリ・プラージュ(パリ海岸)」を見に行ってきた。当日は雨も降っていてエラく寒かったこともあってか楽しいくらいの寂れっぷりだった。
新聞なんかで報道されていた「砂浜」は「海岸」のうちごく僅かで、長さは合計しても300メートルくらいしかなかったのではないだろうか。幅というか奥行きも3メートルくらいしかなくて、車道部分いっぱいに砂が撒かれている光景を想像していた身としては随分期待はずれだった。こんなの砂浜じゃねえ!
8月9日
論文は100枚突破。もう眠い……
ふとした機会にAli Projectの「赤と黒」を聴いたのだが、これってもしかしてヘンリク・ミコワイ・グレツキの弦楽四重奏『既に日は暮れて』のパクリですか?イントロ直後の主題と後奏のあたりが全く一緒なんですけど。間奏もどっかで聴いたことあるメロディだし、他の曲にもバッハのオルガン曲からのパラフレーズも混じってるし、こりゃ狙ってやってるとしか思えませんな。
8月5日
あははー、パソコン壊しちゃいましたー。
動作中に水飲みながら解体掃除してたら零してそれっきり。2日ほど干したらとりあえずは動くようになりましたが、なんか調子悪いです。日本帰ったらマザーボード交換必須だな、あたたたたたた……。
データは救出できたし近所で安いマシンを買ってきて急遽システムを再構築したので論文パーという発狂するような事態は避けられた(一応論文のバックアップは2〜3日おきにとってるし)のですが、ビープ音と共に電源がプチッと切れてしまったときのあの恐怖感はもう二度と味わいたくないです。HDDのクラッシュ音もかなり心臓に悪いけど。
そんなわけで論文は間もなく95枚に到達します。1ページあたり原稿用紙2.5枚程度に換算できるので、修士論文に続いてまたしても250枚の大台は余裕で超えそう。なんでもいいからもう脱稿したいよ……。
7月20日
昨日は誕生日だった。祝えぐず共((C)
ラオウオリヴァー・カーン)。
論文は70枚を突破。首のあたりが疲労でやや痛いような気もするが、そんなことは言ってられない。
原則として私はウェブログをメインコンテンツとするいわゆる個人サイトについては否定的な意見は書かないようにしている。それは別に金取ってやってるんじゃないし公共の紙面やら電波を使っているわけではない以上、放っておけばそれでいいだけのことだからだ。ヘイ・ブルドッグのやり方に嫌悪感を感じるのはそんな理由もあるからなのだが(ReadMe!に登録しているサイトが対象になっているのでそのあたりは考慮の余地がある)、特定の個人サイトに対する悪意ある言辞のそういう垂れ流しをネチネチネチネチとやっている手合いを見ていると余程構って欲しいのかなとか思ったりする。そんなことをするならデートの一つでもしたほうが遙かに精神的に健やかだと思うんだが。
え?これだって個人サイトに対する否定的な意見だって?そりゃそうですね、ハイ。
7月13日
論文ついに65枚を突破の模様。本文残すは(予定では)25枚。今は全速運転で一日当たり1.2〜2ページ程度書き進んでいる。生活態度もかなりひどくなってきている。この前部屋掃除したのなんか3週間ぶりだし。もうイヤ……
7月3日
安物のCD-Rは二度と使いません(ρ_;) 太陽誘電のCD-Rメディアとか売ってないかなあ……
話は変わるが、「感動をありがとう」とか「勇気を貰った」という言葉が私は大嫌いだ。「癒し」のあれやこれやが出回るようになってこの手の台詞はありふれた感謝を粉飾する目的もあってか人口に膾炙しているが、いずれにしてもこういう表現は「感動」あるいは「勇気」が与えられるものだという意識が蔓延していることを如実に示している。口を開けてブラウン管とか液晶ディスプレイを拝んでいれば虫歯だらけのその口には飴玉よろしく適度な甘さのお涙頂戴話が放り込まれるという塩梅なのだ。ふざけんな。
圧倒的な悲惨が我々の認識能力を完全に凌駕するように、圧倒的な感動は、第三批判のカントあるいはロンギノスを持ち出すまでもなく、我々を徹底的な無力さの下に打ちひしぐ。自分のことがどうでもよくなり、それ故に圧倒的な感動は我々の卑小さをこれでもかと言うほどに思い知らせてくれる。「すげーーーーーーーーーーーーーーーー!負けたーーーーーーーー!」以外の言葉が出てこなくなるのだ。無論これは時としてアイスラー某のように禍々しき方向に我々を導くこともある以上、事後の吟味はしっかり行わねばならないが、「受け手」という物象化された一山百円の消費者意識が見え隠れする「感動をありがとう」という汚らしい美辞麗句には、自らの安っぽいプライドだけは死んでも放さないぞという小市民的な所有権意識が地縛霊のようにこびり付いている。
7月2日
CD-Rを焼き損ねて600MBの各種データを全滅させてしまいました……
論文とかは3段階にバックアップをとってるので事なきを得たけれど……
6月26日
白昼夢を見る。浜辺の風景が広がる。全てが紫がかった青みを帯びていて、遠くで海鳴りが微かに響く。その音は貝を耳に当てたときに聞こえる音に似て、遠近感を失いつつも絶えず前方から重く鳴っている。そしてその音は低弦楽器のクラスターのようでもある。
視界ははっきりとしていると同時に、ぼやけている。前方には崩れた橋の残骸のようなものが横たわっているのだが、それもまた、蒼い。周囲には生物らしきものは見あたらず、打ち捨てられたブイやボート、片方だけのビーチサンダルなど様々なゴミが散乱している。
風が時折吹き付けてくる。生暖かい。だが汗ばむような蒸し暑さでもある。
蒼い紫色の風景が広がっている。
6月22日
ふとした経緯でELFの「この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO」(PC-98x1版,1996年)をやる。物語の後半は屍食の場面が出てきたり近親相姦の話になったりするため、Windowsへの移植が行われた際にはボイス化や効果音およびBGMの変更やCGの新規描き起こしすら行われていないというベタ移植(現在のソフ倫規定では
バカバカしいことに近親相姦は扱ってはならないことになっている)になった曰く付きの作品だが、大変にボリュームのあるシナリオで伏線の張り方も極めて巧妙。ほとんど無意味に登場人物がバタバタ死ぬことや完結編がやや冗長なこともあってか物語面でのカタルシスはいわゆる「泣きゲー」と比べるとやや見劣りするが、全体としては非常にシリアスかつ重層的なシナリオが構成されており、すげえゲームだなあとは思った。ショウペンハウアーの思想をカントのカテゴリー論とごっちゃにしていたり(前者の意志世界論はカントの焼き直しであることは確かなんだが)統一場理論になぜか不確定性原理が出てきたりと結構アレアレなところはあったりするのだが。ちなみに某『世紀末の詩』の第一回「世界の果てで愛を歌う少女」はこのゲームのタイトルの
パクリです(人がバタバタ死ぬところも似ていなくはない)。韓国で以前放映されて視聴率4割をとったドラマ『秋の童話』も
『加奈』のパクリだったというし、テレビドラマはもはや見る価値なし、ということでよろしいでしょうか?元々見てないけど。
で、YU-NOでは物語の後半にセーレスという言葉の話せない女性が登場するのだが、
『One〜輝く季節へ〜』の上月澪といい
『ギター弾きの恋』のハッティといい、
なんでこう「萌えキャラ」に割り振られている登場人物には発話が不自由な人が多いですか?
6月18日
サッカーを見た。
排外的なナショナリズムが外からどう見えるのか、そして「パンと見せ物」がどのように政治の中に位置づけられるのかが嘔吐感とともに具体的に分かったような気がする日だった。
逆に言えば、最近日本でも喧しい歴史修正主義者とかの極右はよそから見るとああいうのと同類に写るということになるわけで、そうはなりたくないなあ。
昔東浩紀か誰かが対談で言っていたのだが、ナショナリズムはイデオロギー(政治言語化するのはイデオロギーだが)ではなく、一種の感情である。マルクスとかの本とか読んで勉強しないとバカにされて集団内の地位も期待できない左翼と違って、極右になる、少なくともそのシンパになるのは勉強なんかしなくてもいいわけだ。だから、極右の増加は社会にたいしてどれくらい勉強嫌いが増えつつあるのかについての一種の指標になる。
6月16日
シノハラミヤコのノーコンエッセイ・6/15日版。
この後半では彼女のアルバム「Magnolia」を巡って起きたある出来事について触れられている。
「独り言」を読んで下さっている方なら、私がその当事者の一人でありヘイトBBSを作られたり罵詈雑言の限りを浴びせられたことをご存知(未読の方は
こちら)であると有り難いのだが、実は篠原美也子本人から頂いたメールには彼女自身が
「言葉の力を取り戻せ」に目を通して下さっていたことが書かれていた。メール本文ではそれは私であるとは同定されていなかったが、恐らくそれはこの論考というか批評の書き手が私であるのを知ってのことだろう。
さて、件の「ノーコンエッセイ」では「言葉〜」を巡って起きた一連の出来事について「当時は全く詳しいことを知らずに済んだ」と書いている。メールを使う人は増えてきてはいたものの、まだまだADSLも存在していなかった頃の話である。事態の推移を逐一知ることは無理であることは想像に難くない。
だが、ここで気に掛かるのは
「当時は」という表現である。今もそれを知らないのであればこのような限定辞を用いる必要はないだろう。とするのであれば、恐らく、今の彼女は「揉めた」内容の大体を把握しているのだろう。実際、彼女宛に返信したメールではその経緯をまとめた文書が私のサイトに掲載してあることを伝えてある。
今もなおあちこちで運営を続けているファンサイトでは、時折未だに「事件」について言及しては「否定派は」云々と書いていることがあると聞く。それはそれで構わないし、今更徹底的な再反論を行おうという気もあまりない。むしろ彼らの日記等に散見される誤字脱字修辞上の誤りの方がはるかに気になるくらいだ。しかし、かなりの確度で篠原美也子本人が3年ほど前に起きたこの問題についてのあらましを知っているということ、そしてそれを匂わせるだけで直接的には言及しないということを、彼らならどう捉えるのだろう。
6月13日
論文は修羅場。逃げたい……(泣)
2chで同人押し掛け厨房のスレ(
こことか
こことか)を読むと、まあキチガイの多いこと多いこと。前世がどうたらこうたらとかもう脳味噌がメルトダウンしそうなセリフの数々……。泣けてきますな。
が、それに輪をかけてひどいのは押し掛け厨房の親。私は自分の実名をほぼ曝した上でサイトを運営しているし、現実の知り合いでもここを読んでくださっている人は結構いるのであんま具体的なことは書けないのだが、大昔別の所に住んでいたときに隣家に住んでいた一家はどうも一家丸ごと時差全開のミラクルワールドにいたようで、防音室もないくせに夜中の11時とかに演奏とはほど遠いレベルのホルンの練習をおっ始める(知っての通りホルンは西洋管楽器の中でも最も難しいと言われるもので、ヘタクソが吹くと象の放屁よりも悲惨な騒音が響き渡る)ため、当時ガキだった私は寝るのにかなり苦労したものだった。
当然の如く近所の誰かがある日、「豆腐屋だってもっとまともに吹くわいバカヤロー」と電話をしたそうな。まともな人間(正常な神経をしているなら防音室のない家で夜9時以降に楽器を演奏することは大邸宅に住む人を別にすれば普通はないのだが)ならそこでハイスイマセンとなるのだが、隣家の件のホルンキチガイの母親は近所を一軒一軒回って「電話をしたのかテメエかバカヤロー」と怒鳴り込んでいたそうだ。当然爾後近隣の住民からは村八分を喰らって最終的には逃げるように引っ越していった。仄聞するところではさらにその引っ越し先でも近隣住人とトラブルを起こしてまたまた引っ越しを余儀なくされたそうだ。さまよえるオランダ人ですな。
この手の話は実はまだまだあって、「オラは親戚のものだがなあ、オラの娘に何しただ」(←親戚じゃないだろ)と怒鳴り込んできた人の話とか警官に「いい年してその物言いは何ですか」と叱られた人の話とか色々色々あるのだが、問題が解決してまだ日が浅いので書くのは控えますです。
そういう思考回路が完全に破綻した親厨を数多く目の当たりにしてくると、押し掛け厨房のような連中は親厨あってこそなのだなあと思わざるを得ない。摩天楼のような高い偏差値を要求する大学の学部に入学するだけの脳味噌があるのにカルト宗教にはまって人生を捨ててしまう連中が後を絶たない現実も併せて考えると、学力崩壊よりももっと深刻な倫理的思考力そのものの崩壊がヴァリヴァリと世の中では進んでんじゃないかと頭を抱えてしまったりするのだ。