一時期、インデックスにも掲示していましたが、私を誹謗中傷することを目的の一つとした掲示板が、とある人のホームページにありました。2月上旬、ふとした偶然から私はその存在に気づき、しばらくその掲示板を匿名プロキシを使いながら見守ることにしました。それはとりあえず事態の推移を見守って、余りにひどいようであればログを集めるなりして具体的な行動に出ようとも考えていましたし、果たしてその掲示板は第三者に対しての誹謗中傷を目的の一つとしているのかを、見極めようと思ったからでもあります。匿名プロキシを使ったのは、その掲示板がどうやらアクセスログを記録しているらしかったこと、そして過去に同じ人が運営していた掲示板に書き込みをしたとき、IPアドレスからWinNukeとおぼしきもので狙い撃ちにされたことによるものです(誰がやったのかは分かりません)。
なぜそのような「裏」掲示板が設置されるに至ったのか、私は知りません。無論隠さなければならないような理由があるからなのでしょうが、まあそのあたりの問題についてはここではあえて詮索しないことにします。言い出すときりがありませんから。
その掲示板を巡回ルートに加えてしばらく経った頃、別の人が運営しているホームページに設置されていたチャットで、先に示した「裏」掲示板の常連たちによるチャットが行われていました。そこで交わされていた内容には、明らかに私に対するものと思われる誹謗中傷、個人攻撃がありました。
それらが具体的にはどのような内容であったのかについても、ここでは触れないことにします。それらのログを私は今でも保存していますが、第三者の目から見ても、一読して不愉快になるものです。
これらについては余りに目に余るものでしたので、事の摘要を「独り言」に掲載した上で、当該チャットに私のリモートホストだけ記しておき、関係者から何らかの連絡があるのを待つことにしました。しかし、何日か過ぎて、私の手元に届いたのは、チャット及びそれを設置しているホームページ管理人からの「独り言」に対する抗議のメールでした。確かに、「独り言」ではそのホームページへのハイパージャンプを設けていましたから、ページ管理者としては不愉快に思うのは無理からぬ事です。以後の適切な措置を希望する旨を記したメールを返信し、わたしは「独り言」のソースと内容の一部を書き換えました。
また、これと平行してネット上の何人かの知人に呼びかけた上で、彼らに裏掲示板の存在を明かし、それらについての問題も含めて話し合う場を、
寂れて久しい掲示板に設けました。その掲示板は使い勝手が大変悪かったので、
「ネットの未来について語り合う掲示板」という大変に悪趣味なタイトルの掲示板を私名義で借り、話し合いはそちらへと移すことにしました。寂れていた古い方の掲示板については、移転先を示す書き込みを残しておきました。この掲示板は今でも残っていますので、興味のある方はご覧になっても構いません。なお、4月をめどにして「ネット〜」掲示板はログを一旦全て消去した上で、別目的の掲示板に使う予定ですので、4月を過ぎてこれをお読みになった方で、ログをご希望の方は私までご連絡下さい。
ちなみに、チャットで発言されていた人たちについては、それが果たして本人であるのかどうかを確認する必要がありましたので、リモートホストに表示されていたプロバイダに問い合わせを行いました。いくつかのプロバイダからはログの提出要請があり、今後の展開を慮った上で、それらには応じることにしました。
かくして、裏掲示板を巡る情報交換については一定の体制が2月の末にできあがったわけですが、事態は風雲急を告げます。メーリングリストにおいて、私は既に件のチャットの参加者の一人について、その発言を糺す内容のメールをポストしていたのですが、そうこうするうちに裏掲示板に出入りしていた人の一人が、何らかの手段によって「ネット〜」の存在を知り、裏掲示板も移転、メーリングリストでは私に対しての非難を含むメールがポストされました。そしてその人のホームページでは「ネット〜」の存在を揶揄する内容の文章が掲載されました。
これを受けて、私は手許に保存していた裏掲示板のすべてのログと、チャットのログを公開することにしました。ほぼ同時に、裏掲示板を運営していた方のホームページにあった表の掲示板で、その方の行為について糺す書き込みをさせていただいたのですが、残念ながら罵倒で返されてしまうという結果に終わりました。
ここへ来て、私は事態の最終的解決を求めて行動すべき時なのではないかと考えました。というのも、裏掲示板を設置していた方のホームページでは過去、別のプロバイダにホームページを設置していた時、度々不適当な表現、誹謗中傷といってもいいほどの個人に対する攻撃的な内容を含むコンテンツが掲載されていたからです。それらについては一旦当人に警告したあと、プロバイダに連絡して勧告・警告を行ってもらうように依頼するというやり方を取ってきましたが、そのホームページが現在のプロバイダに移転してからは、表のコンテンツの更新は全くなされず、裏掲示板のみが活発な活動を続けているという状態であり、その意図するところはきわめて悪質なものであると私は判断したからです。
そこで、最新版を含む関連ログをすべてまとめて同封し、プロバイダにコンテンツの削除・アカウントの停止を求めるメールを送りました。対応によっては法的手段も辞さない構えでいました。
しかし、その直後、それらのページのうちのいくつかは閉鎖されました。あるページはその後運営を再開しましたが、別段それらについて何のコメントも本日に至るまで示されてはいません。そしてまたあるページは偽装閉鎖通知をインデックスに掲げています。
これらが、ここ数ヶ月、ネットで起きていたこと、とりわけ篠原美也子関連の様々なホームページで起きていたことです。
これらが私たちにもたらす教訓とはいかなるものでしょうか。今後、同様の問題を引き起こさないようにするためにも、私たちは何らかの仕方でこの種の問題についての認識と見識を持つ必要があります。
まず明らかに言いうるのは、ネットというのはその広大さゆえに、様々な種類の言論が存在する余地、しかも文字を伴って書かれた形での言論がほぼ何の規制もなしに展開されうるという可能性を持っています。そしてこれは、ネットに関しての様々なテクノロジーによって、匿名性をも同時に保証することができています(厳密な意味では、完全に匿名になることはできませんが)。一部の思慮を欠く評論家などはこの匿名性を排除するように主張していますが、これはフーコーの権力論を想起するまでもなく、明らかに愚かしいものだといわねばならないでしょう。その種の人たちは、匿名であることによって可能になる言説については全くその意義を考えようとしていません。
しかし、だからといって個人攻撃を公然と行うようなコンテンツがあっていいということにはなりません。殊にそれが公人ではなく単なる一私人に対するものであるのならば、事態はきわめて悪質であるといわねばなりません。そしてそれらは現在もなお、対象を変えるなりして、また異なる人々の手によって、継続して行われているということも、忘れてはなりません。
これらの認識に立って、私たちにできることは、まず一つには自ら自戒してそのような行為を行わない、ということがあります。怒りを暴発させる前に、ほんの少しの自制・自省の心を持つだけで、それらは十分可能なはずです。また、掲示板などにも罵倒の書き込みをする前に、もう一度その内容を読み返してみれば、それらがもたらすであろう帰結についてもある程度の予測が立ちます。私たち自身については、そのようにして自らの心のあり方を見つめることが出来さえすれば、不要な争いは避けることが出来ます。
が、そのような罵詈雑言、とりわけ自分に対しての罵詈雑言に直面した時、私たちはそれらに対していかなる態度を持つべく心がけるべきなのでしょうか。私は個人的には自分に対してのその手の罵倒や当てこすりを多く目にしてきましたし、それに向かって短絡的に反応したせいで色々と痛い目にあったこともあり、今では反省してもいます。
ですが、やはりそれらを目にしたとき、誰でも腹の一つも立つというのが人情であるというのは否定できません。ついついカッとなって同内容の罵詈雑言をお見舞いしてやりたくなるというのは私を含めて多くの人が感じてしまうことでしょう。それだからこそネット上では昔から、今日も、そして未来も喧嘩があちこちで絶え間なく続いているのですから。
それでも、ここで私たちはもう一度自らを省みることをしようではありませんか。もしここで罵倒を返したのであれば、それは自らが罵倒をしている相手と同水準の存在であることを公然と認めることになります。そのようなことを人目に付くところで平然とやっているような人たちと大して変わらないような次元まで身を落としても構わないとおっしゃるのであれば、別に私はそれを止め立てする理由はありません。しかし、もし、これを読んでおられるあなたが、そうではなく、より広汎な意味での人間同士のあり方について認識を馳せているのであれば、そのような人々には敢えて関係しない、ないしは関係そのものを断ち切ることを私は勧めることについてやぶさかではありません。そもそもネット上で知り合える人間の数というのはたかが知れていますし、そのような問題で縁が切れる人というのは所詮それまでの縁でしかないのです。残念ながら個々人の間には品格(知性はその下位概念の一部でしかありません)の差というものがあります。そして人間というものは比較的品格の近い人しか友とすることは出来ないものです。これは私たち自身の個人的理想を超えてしまっている客観的事態として、残念ながら、肝に銘じておく必要があります。
ですが、やはりそれらに対して聡明な態度をとらせる健康な感覚を涵養するためにも、私たちは広く現実の世界に友を持つ必要があります。ネットの世界にあまりにも入り浸りになると、私たちの感覚は日常性から遊離してしまいがちになります。それには様々な理由があり、ここで立ち入って詳述することはしませんが、ネットの、端末の向こう側には人間がいるという事実をたえず認識し、自らの行為を日常心がけている倫理によって反省するためにも、日常性の世界を構成する他者としての友人はまず何よりも欠かすことはできないのです。
こう述べてくると、私たちが心がけねばならないことというのは実に簡単なことでしかありません。ネットの世界は別段エゴの解放区でも何でもなく、あくまで日常と接続された世界の、ごくわずかな浮島の一つでしかないということ、それさえ日常性に立脚しつつしっかりと認識できていれば、様々な価値観の違いによるわずかな争異はあるにはあるものの、罵倒や陰惨な悪口などの暴力に走るという最低の振る舞いには及ぶことはまずなくなるはずなのです。
NTTの、先進国としては異常とも言える高い料金にも関わらず、インターネットは既に社会のインフラとして機能しつつあります。そういった状況の中で発生する新しい形の人間関係のあり方を、どう捉え、いかにしてそれらへの方策を見いだしていくのか。答えは、案外、卑近なところにあるのかも知れません。