2010年チュニジア・フランス旅行記(2)



翌日の12/18(土)は早朝に起床。朝食を済ませ、チュニスのメディナ(旧市街)に観光に出かける。旧市街入り口のフランス門近くには当時大統領だったベン・アリの巨大な写真が掲示されていたのだが、そういうのをバシバシ撮ると治安警察に捕まるらしいので、素通りして市内の見学を行う。
     

     

分かってはいたが、入るとアザーンが聞こえてくるのに驚く。ここはイスラム圏なんだということがはっきりと分かる。と同時に、土産物屋の連中がしつこいくらい声をかけてくる。


旧市街は欧州の中世の村よりも遙かに複雑に入り組んでいるので、当然の如く迷う。アザーンが聞こえてくるためモスクの方向はある程度分かるし、実際そこへの道はそれほど難しくないのだが、途中謎のオヤジが「連れてってやるから着いてこい」と言う。物売りなのは分かっていたが、ヘタに喧嘩をすると逃げ場がないのでとりあえず案内を頼む。
当然の如く彼が営む香水屋に連れ込まれ、あれを買えこれを買えとしつこく売り込まれる。「日本人は毎日風呂に入るから香水なんか要らないんだよ」とやり返すも「チュニジアの女を口説くには香水は必須だ」とか訳のわからない理由をひねくり回して彼は抵抗する。チュニジアの名産品の一つは確かに香水なのだが、野郎がイラン・イランの香水を身につけたところで基本的には気持ち悪いだけなので、キッパリと断る。
すると彼は怒り出して(というフリをしているだけだが)案内したんだから10ディナールよこせと大声を上げる。彼はそんなにガタイがいい方ではないのであんまり威圧感はないが、仲間を呼ばれて袋叩きにされると洒落にならないので1ディナールだけ渡してやると途端にニコニコして、モスクまで案内してくれた。

        

モスクは宗教施設ということもあり、ムスリム以外は内陣に入ることができない。日本の寺だって一部の脳の腐ったケースを除けばオープンなんだし欧州の教会だって告解所以外はミサの時間を除けば入れるんだからミフラーブくらい見せてくれてもいいじゃないかとも思うが、まあそのあたりは歴史的に欧米列強によっぽどひどい目に遭ったんだろうと思う。特に某国の観光客は短パン+サンダルにビデオカメラというとんでもない出で立ちなのでそりゃ聖職者としても頭に来るんだろう。実際ヴァチカンでも同様の服装を咎める立て看板があったし。

        

モスク見学後、途中カフェで休みながらメディナをぐるぐると見学する。それにしてもここの人々は商売熱心というか、観光客に声をかけることにためらいがない、あるいはしつこい。かなりのケースで「ニーハオ」とか「コニチハ」と声をかけられる。ひどいケースになると袖を引っ張って店に引きずり込もうとする。ひでえなあ……とこのときは思ったのだが、後日回収できたスーツケースにしまっておいたフランス語のガイドを読んでみたら、チュニジアのここ数年の経済状態の悪化は洒落にならないレベルだったので、まあそういう理由もあったのだなとベン・アリ政権の崩壊のニュースを耳にしつつ今になると思う。

  
これはオスマン朝時代のベイ(現地総督)の霊廟。イスラム教徒の墓は頭をメッカに向けなければいけないという戒律があるので、この霊廟に葬られている人々の墓は全て同じ方向を向いており、所々にメッカの方角を示すミフラーブが彫り込まれている。メディナは騒々しいなんてもんじゃなかったのだが、さすがにここは静かだった。

メディナ見学を終え、空港に行ってみる。電話でロスバゲの件を聞いても全然手応えがないので、とりあえず実際に現場を見てこないとダメだと思ったからだ。ところが、空港に行ってみると欧州便の混乱は未だに続いており、ロスバゲ窓口の女性にいわせると未だに解決の目処そのものが立っていないという。

  
しょうがないのでロスバゲ票を発行して貰い、ホテルに戻ってロスバゲ番号をルフトハンザ日本支店に連絡。ところが、ルフトハンザ日本支店は「それはチュニスエアーの責任に基づくものだから、チュニスエアーに訊いてくれ」と全力でたらい回しをされる。一応ANAにも連絡しつつ、日本のチュニスエアーに電話すると「こちらでも調べる」との応答をもらう。ところがこれがとんでもない食わせ物だったことがあとで判明する。

かなり早めの昼食をとりホテルに戻ると、旅行代理店から連絡があったとのこと。曰く、トズールでのクリスマスディナーキャンセル分について返金を行いたいので事務所まで来てくれとのこと。今となってはその費用も大事なので急遽代理店に向かう。代理店の人は私がロスバゲにあったことも知っており、まあ色々と慰めてくれた。また、お茶やらお菓子も出してくれて、ギスギスした心が少し落ち着いたと思う。そんなわけで120ディナールほどを返金して貰い、事務所をあとにした。ところがトズールはクリスマスディナーの特別食のキャンセルどころの騒ぎではなかったのだ。これはトズール編で説明する。

で、午後はバルドー美術館に向かおうと思い、旅行代理店から歩いて10分ほどのところにあるバス停に向かおうとすると、今度は別のオヤジが「案内してやる」と寄ってきた。ああまた小銭をたかるのか、と思ったが1ディナールで道が分かるなら別にいいやということで道を教えてもらうと、やはり
「私はのどが渇いた。ワイン代として10ディナールよこせ」
と要求してくる。お前ムスリムだろコラと反論すると
「ワインはオーケーだ」
と宣う。お前サウジアラビアに行ったら宗教警察に捕まって鞭打ちの刑喰らうぞと内心毒づきつつ、
「ムスリムは酒を飲むべきではない。ただお前の案内には感謝している。だからこれで茶を飲め」
と1ディナール渡してやると
「これで何が飲めるってんだよ!」
と暴れ始めた。おいおい、こちらが現地価格を知らないとでも言うのか。
「茶が飲めるって言ってんだろ、あばよ!」とさすがに私も頭に来て怒鳴り、通りがかったタクシーを拾って逃げた。ちなみにチュニスだと観光エリア以外のカフェでのミントティーの値段は0.7ディナール(700ミリーム)程度である。

で、バルドー美術館。現在は改修工事中なので、展示品も通常の半分程度に留まっているが、それでも非常に充実した展示。

     
     

で、見学していたら学芸員が「お前のためにガイドツアーをやってやる。価格は15ディナールだ」と言ってきた。まあ正直現地人の所得からすればかなり高いが、チュニジアンモザイクの勉強代だと思ってガイドを頼むことにした。
見学途中、工事中で入れない部屋にも入れてもらったりして、色々と学ぶ。当然の如く古代ローマ美術なんかとの関連やアフリカ属州における宗教の特徴(ローマ本国とはちょっと違う)なども含めて質問攻めにしたので、2時間以上彼を拘束したことになる。ただし、こちらの質問には全てきちんと答えたので、基本的な勉強はちゃんとしているようだ。実際ここでの知識はエル・ジェムのモザイク美術館を見学したときにも大変役に立った。まあかなりグレーなガイド料金だと思うが、知財については金は惜しむべきじゃないのでこのくらいは仕方なかろうと思う。


美術館外の土産屋で知り合いに出すために絵はがきを数枚買って、メトロ、とは言っても路面電車の駅に向かう。とりあえず片道切符を買い、来た電車に乗ろうとするがメチャクチャに混んでいてとても乗れたものではない。近くにいた学生さんに訊いてみたら、どうもダイヤ乱れというか運行間隔が今日は少ないとのことで、一本やり過ごして次のに乗った。勿論これも激しく混んでいたが、日本の朝のラッシュに鍛えられた自分としては我慢できないレベルではない。

ところがいざ乗ってみると、どうもケツやら肩やらを撫でる手がある。最初は気のせいだろうと思っていたが、頭に手をやられた段階で完全に痴漢だと分かった。イスラム圏では因襲的な男女差別のせいで男女比が崩れていて、しかも経済水準が低い層では婚姻年齢がやたら高い(男性側が全て揃えなければいけないため)せいで後天性の男性同性愛者がやたら多かったり、アフガニスタンでは少年の男娼が人身売買の対象になっていたりするというのは公然の秘密だが、それでもこんな30代半ばのデブのケツ撫でて何が楽しいんだか……

当然如く頭に来たので振り向いて「やめろやこの野郎」と言うが、どうも相手は3人以上いたことがここで判明。これでは冗談抜きで貞操の危機そのものなので、急遽次の駅で降りることに。いや勿論、下りるときに"S"で始まる罵倒語を拳固を持ち上げるジェスチャーと共に投げてやりましたが。ちなみにその次の列車はガラガラでした。
#"S"で始まる仏語の罵倒語は英語のFxxxよりもさらにひどい言葉なので、普通に使うと喧嘩になります。気をつけましょう。

        

ブルギバ通り近くのレピュブリック通りで降り、スーツケース回収までの数日間をしのぐための衣類を売っている店がないか探しつつ、ホテルまで歩く。ところがレピュブリック通りは家電屋やパソコン屋や携帯屋が多く、服など売っていない。ブルギバ通りは服屋はあるものの私が必要としている下着とかは扱っていない(後日下着も扱っているベネトンを見つけたが閉まっていた)。とりあえず今後の対策を考えるのと頭を休めるためにカフェにてお茶を飲む。

  
これがチュニジア名物のミントティー。場合によっては松の実を入れて飲んだりするのだが、ものすごく甘い。これに限らずイスラム圏では酒が御法度であるため、飲み物はやたら甘いものが多いのだが、実際これは理にかなっている。ただしあとで歯を磨かないと酷いことになるのは当然なのだが、チュニジアのオッサン方はタバコはガンガン吸うくせに歯は磨かないようで、老人になると殆ど歯がないような人も少なくない。そのため、彼らと(フランス語で)話をしても鼻母音の音が前歯の隙間から抜けてしまって何を言っているのか分からないようなことも多々ある。80・20運動(http://www.8020zaidan.or.jp/)ではないが、歯の定期検診と歯磨きの励行は意識的でありたいと反省を新たにした次第。

で、ホテルで一旦休憩した後、また空港に行ってみることにした。やはりスーツケースは見つからなかったのだが、ロスバゲカウンターの女性は「あんたまた来たの」と苦笑いしつつ応対してくれた。どうもこちらのことを覚えてくれたらしく、結果としてはこれがあとになって幸いすることになる。

しかしそれでも焦燥感と疲労はどうしようもないので、この日は夕食もとらずにそのままホテルに戻って爆睡。



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