ルーゴン・マッカール叢書第10巻、『ごった煮』を読了。角川版は手に入れられなかったので、論創社版の新訳にて読んだ。
南仏プラッサンからパリに上京してきたオクターヴ・ムーレ(後の『ボヌール・デ・ダーム百貨店』の店主)が下宿することになったブルジョワアパルトマンのヴァフル館での滅茶苦茶な風紀紊乱ぶりと虚栄たっぷりの社交界の頽廃を描いた作品。話の筋はこれまた余り重要ではないが、虚栄と経済の分かちがたく絡み合った関係を、浮気し放題の社交界の現実をなぞることで描き出しているのが本書の見るべき点であろうと思う。
つまりだ。当時(そして恐らく現代も)ブルジョワ階級の地位は当然の如く経済力によって維持されるし、担保される。そして社交の場においてはそれは衒示的な消費を必要とするわけだ。結果、中級ブルジョワ階級の連中は相手により少しでも優位に立とうと、あるいは優位に立っているふりをするために、本質的には余り意味のない、装飾的な消費に傾倒していくことになる。本書でのジョスラン夫人と娘のベルトが完全にはまりこんでいるのは、まさしくこういう価値体系である。
これが次巻『ボヌール・デ・ダム百貨店』ではさらにエスカレートし、買い物せずには主体性を維持できなくなってしまう女性達の病理が皮肉たっぷりに描かれているわけだが、当書ではその前段階ではあるものの、金が全てに優先するのだというガチガチにリアルで血も涙もないブルジョワ社会の現実が描かれている。
恐らく、このようなどうしようもない消費社会は、今日でも加速こそすれ消滅していないだろう。ヴェブレン的な意味での階級の証明としての消費という性質は多分に後退はしているのかもしれないが、相続財産目当ての骨肉の争いや夫婦関係そっちのけで浮気に精を出すくせに葬式の時だけ信心深くなる連中、そして使い捨て同然であるのにファッションに湯水の如く金銭をつぎ込んで少しでも自分を「シック」あるい「コケット」に見せたがる輩、そうした階級は今日もなお健在であるし、時と場合によってはそれがモードの中心であるかの如く振る舞っているらしいのだ。
ちなみに、その小説にはゾラその人と思われる人物が出てくる。他の登場人物との交流は皆無だが、この小説が発表された当時に巻き起こった騒動のことを考えるとなかなかに笑えるくだりも多いので、その辺りに留意してみるのもいいと思う。