エミール・ゾラ『ルーゴン家の誕生』をとりあえず読んでみたのでレビュー。
ゾラの「ルーゴン・マッカール叢書」は本書『ルーゴン家の誕生』からスタートする。第二帝政期に興隆の端を発するルーゴン家がいかにしてのし上がっていったのかという話を軸に、もう一方の家系マッカール家出身のシルヴェールが南仏動乱に参加して結局は憲兵に捕まって銃殺されて脳漿を墓場にぶちまけるという話が展開されている。で、今も南仏、特にプロヴァンス~コート・ダジュール地方は国民戦線(FN)なる極右政党にとってはおいしい票田であったりもするのだが、ピエール・ルーゴン夫妻が主宰する(正確には主宰するように焚き付けられるのだが)南仏プラッサン市という田舎町の黄色いサロン@ルーゴン邸に集う保守反動のブルジョワ連中の話題の水準の低さや思考方法の陋劣ぶりは自然主義の面目躍如という感じで実にリアルかつおぞましさをかなり正確に伝えてくれている。また、もう一方のマッカール家の流れの連中は別の意味で破綻の極みにあって、有名な『ナナ』の主人公アンナ・クーポーはこの流れに属するのだが、本書ではアントワーヌ・マッカールのヒモっぷりが見事という他ない。でも、こういう話が出版当時突飛な絵空事と叩かれなかったということは、こんな人間は下層階級を訪ねればゴロゴロしていたということなのだろう。
それはさておき、本書で光るのは少女ミエットの余りにも可哀相な生き様と死に様である。彼女はシルヴェールの恋人なのだが、まず生い立ちが不幸。父ちゃんが殺人犯の嫌疑を掛けられて牢獄にぶち込まれ、一応叔母の所に引き取られるのだがその叔母がぽっくり死んでしまい義父とその息子ジュスタンに徹底的に酷使されていじめ抜かれる。ええ、ドストエフスキーの『虐げられた人々』のネリーの話でも私はグッと来てしまったわけですが、分かり切ってても私はこういう出自のヒロインの話に弱いです。もう同情度170%です。で、彼女は頭のいかれたアデライード・フークばあさんと暮らしていた(母親は肺結核で死に、父親は悲嘆の余り自殺していたので)大工見習いのシルヴェールと恋に落ちるわけです。出会った当時まだ13歳だったミエットとほんの少し年上に過ぎなかったシルヴェールの逢い引きのシーンは、悲惨なという形容が陳腐すぎるくらいの残酷な日々のなかで、自分を理解し共に生きていこうとする生命を見出したときの二人の痛々しいくらいの瑞々しい喜びが胸を打つのです。それでもってシルヴェールと出奔して山の中で二人で将来の希望を語り合う場面。その後赤い旗を掲げて人々の先頭に立つもあっさりと撃ち殺されてしまい、パスカル博士とシルヴェールの見守る中で息を引き取る場面。もうこれでもかこれでもかとミエットの幸薄さが読む者の精神を揺さぶりにかかります。そしてその後生きる希望を失ったシルヴェールもあっけなく捕縛され、かつて自分が片眼を潰した憲兵によって殺される。
確かに頭はあんま良くなかったけれど純粋で将来への希望があったシルヴェールと、彼に自分の人生の喜びの一切を託そうとしていたミエット。二人は幸せにならなきゃいけないのに何でだ!という怒りが、ルーゴン夫妻、特にフェリシテの腹黒いマキャベリズムやピエールの愚鈍な虚栄心たっぷりの俗物ぶり、そしてアントワーヌ・マッカールのダメ人間に対して沸き起こります。
けれどもこの話って、150年も昔の社会を舞台にしているわけです。にもかかわらずその実相というか生々しさがここまで伝わって来るというのは、さすがゾラというべきです。『ナナ』とか『ジェルミナル』とか『居酒屋』あたりでゾラの世界に触れた人は、読んでみても損はないと思います。