ショスタコーヴィチ:交響曲第4番(ミュンフン盤)について。今度彼の指揮によるトゥランガリーラ交響曲を聴きに行くのでついでにレビュー。
学生時代N響の定期演奏会で聴いて、余りのテンションの高さに一発で折伏された曲です。
フィラデルフィア管といえばオーマンディ時代の健やかサウンド、という印象が余りにも強くてショスタコとかヘンツェとかペンデレツキみたいなドロドロ怨念皮肉悪意敵意てんこ盛りの曲にはあれ?という先入見というか印象あるいは偏見がどうしてもぬぐえない訳なんですが、技術水準は決して低いわけではなく、太鼓部隊の重低音大会ぶりは特筆すべきだし、並のオケなら第1楽章の弦楽プレスト突撃で崩壊するアンサンブルも、少々機動は鈍いものの何とか持ちこたえており立派。元々大音量でドカンドカン鳴らすのが得意なチョン・ミュンフンの棒もあって曲の外観をお勉強するには非常にまともな録音に仕上がっている。
……でも何か憎しみというか苦しみが足りない。有名なコンドラシン&モスクワフィルの演奏だと、実は弦楽セクションはあんまりうまくなくて音が濁って聞こえるところも結構あったりするのですが、演奏全体に漂うドス黒い緊張感が生み出す猛烈な負のエネルギーが、この曲の不幸な生い立ち(つかショスタコの曲には不幸な生い立ちの曲が多すぎて笑える)と曲自体が示唆する近代ロマン派音楽への軽蔑に似た構成や「マイスタージンガー」のパロディ的引用やマーラーの7番の引用等々と相俟って、ショスタコがシンフォニストとしてドイツロマン派に叩き付けた挑戦状のようなパワーと共にダンプカーの警笛のように聞こえてくるわけです。
総じて言うと、この録音はうまくまとまりすぎていて逆に破壊力を欠いている。時々音量指定を無視して金管群が爆発したりマッハ2.8で編隊飛行を行うMig31のような弦楽セクション等々、ソ連時代のモスクワフィルやレニングラードフィルの何と魅力的なことか。
この曲については少なくとも、もっと暴力的で恐ろしい演奏を聴きたいのですよ。