マーラー:交響曲第10番(クック版/ギーレン盤)をアマゾンにて落手して聴く。
クック版のマーラーの10番といえば、ラトル指揮のBPOライブ盤が定番と言われて久しいが、昨年発売されたこの録音もそれに負けず劣らず素晴らしい。
ギーレンと言えば現代音楽フリークにはおなじみの指揮者で、彼が昔振ったベートーヴェンの交響曲第5番の録音はケーゲルだってこんな解釈はせんだろうという水準の抜け殻演奏で、逆にノーノの『広島の橋の上で』とかの演奏は正確無比としか言い様のない実に的確かつテンションの高い素晴らしい録音に仕上がっているし、同じくノーノの『セリーに基づくカノン風変奏曲』とかリゲティの『レクイエム』の録音なんかも実にドライないい演奏としてごく一部で評価が高い。
と言うわけで本録音はどうせ重油のようなマーラーの苦悩をあっさりそぎ落とした骨組みだけの即物主義の極北のような演奏かな……と高をくくっていたら大違いなのでこうしてレビューを書いている次第です。
確かに、ギーレンのタクトさばきはインバルなんかの演奏と比べると圧倒的に主観性が足りない。だが、そこにはマーラーの晩年の懊悩から倫理的に距離を置こうとするギーレンの節度ある解釈態度が伺えるように思える。歌うべき所は確かに歌い込んでいるのだが、すすり泣きを分かち合うような共感ではなく、あくまで4メートルほどマーラーから離れてマーラー最晩年の肖像を、ギーレンの視点から彫琢しようとしているように感じられるのだ。
演奏は総じて丁寧に音符を追っており、主観性に流れてスコアの音価を蔑ろにしていることはないし、音符間のアーティキュレーションはわざとあっさり目で鋭角的な鳴らし方をしている。このあたりはギーレン節といった感じ。特に中間楽章はそのドライさが逆にマーラーの躁状態の悲しさを的確に示しているように思う。そのキッチリした演奏は彼の楽しげな表情自体がなにか浮薄であるという迷い、怯えを感じさせてくれる。
そして終楽章。大太鼓の一撃が素晴らしい。自らをこの世から引きずり攫っていく死神の弔鐘のように響く凄絶な一撃。スフォルツァンドかつ余韻を抑えた鳴らし方(マーラーの指示通りではあるのだが)がこの世界からの別離の虚無の深淵を恐ろしい程に刻印してくれる。それに続くフルートのソロは比較的自由に歌い込んでいたパユに比べるとやや固い印象はあるものの、乾いた印象を持続させるという点では効果が大きい。
そして最後の弦セクションの13度の跳躍も艶がありつつ寂寥感と諦念が無限に滲み出てくる穏やかさ。ああ、マーラーは、第1楽章のオーケストレーション作業をしていた頃はまだこの世にいたマーラーはもうこの世にいないのだな、永遠に手の届かない彼方へと旅立ってしまったのだな、という切ないほどの喪失感を与えてくれる。
文句なしにお勧め。聴け。