2011年12月
皆様、良いお年を  (2011.12.31)


あまりにも慌ただしく過ぎた一年も気がつけば大晦日。3.11が余りにも遠いことのように思えるほど、2011年という一年は過ぎていってしまった。小生がチュニジアから帰国して一ヶ月も経たないうちにベン・アリ政権が革命により崩壊したことから始まり、東日本大震災、そしてそれに伴う福島の核事故と放射能汚染、ユーロ圏での経済危機等々、偽るまでもなく頭を抱えたくなるようなひどい事件ばかりが起きた一年であった。世のニュース番組はそれでもお体裁を取り繕うべくサッカーの女子日本代表の世界一や小惑星探査機の帰還などを取り上げてはいるが、地震や津波に伴う2万人の死者と死の土地と化した福島第一核発電所付近の悲惨を前にすればそんなものは単なる些事でしかない。そして今年もおそらく3万人以上が自殺で命を絶っている。

大きな出来事に限らず、個人的な事柄に目を転じても、13年ぶりのオーケストラへの参加、そして転職もあり、一つ一つのことに落ち着いて思考を向ける暇もないほど心が静まらない一年であったように思う。自分が今何をしているのか、何をすべきなのか、もっと言えば自分がどこにいるのかも半ば分からないような状態で、おそらく典型的なミドルエイジクライシスも相俟ってなのだろうが、精神状態などもほぼ最悪の状態でこの一年は過ごしてきたように思う。まかり間違えばアルコール依存になりかけるような状況もあった。

しかし、仕事も先日付で事実上退職し、春からの新天地での再始動に向けて英気を養うに十分なだけの休暇を貰うことができた。また、この一年間、オーケストラのつながりを中心にして、色々な人たちの知遇を得ることができた。諸般の問題から転職を考えていたところにまさに渡りに船で私を引っ張り上げてくれた方がいたのはまさに僥倖というほかはない。そう考えれば、最悪という言葉が生易しく響くほど最悪なこのような状況にあっても、私には少なくともいいことがいくつかあったし、それは言うまでもなくこのような卑小な人間に愛想を尽かすことなく(本当は尽かしているのかもしれないが)その存在を記憶して頂いている多くの人に負っていることは明らかだろう。

だから、新しい年に当たっては、たとえ微力であっても、そうした人たちとの関わりをつないでいくためにも、動いていきたいと思う。一人で孤独の淵に沈むことは思索を深めていく上では絶対に欠かせないことだとしても、だ。なぜなら、絶望によって導かれた思考は希望によってのみ宥和と救済を獲得することができるからだ。そして希望をもたらすのは意志でも偶然でもなく、他者そのものに他ならない。

希望なき者のために希望は与えられている、というのはベンヤミンの有名な言葉だが、おそらく、この希望は、神なき我らの時代にあっては他者との間に芽吹く恩恵なのだろうと思う。それは意図せざるものであろうが、そうであるが故に尊いものでもあり、かつ儚いものでもあるのだろう。

だから、希望を持つということは、多分に他者との関わりを無条件の前提とするものなのだと思う。だからこそ、私自身いまだに精神状態は決して良いとは言えないのだが、これからは、絶望の只中にあっても、希望を見いだせるような人でありたい。

皆様、一年間ありがとうございました。そして、来る年が皆様にとって幸多き一年となりますように。


会社を辞めることにした  (2011.12.07)


MixiやFacebookの短信ではすでに触れていたのだが、会社を辞めることにした。
といっても一応転職先は確保しているので、残存有休の消化も含めたサバティカル休暇を取ってから、新しい職場に移ることになる。今度の職場は今私が禄を食んでいる業界とは全く違う畑。技術面での知識は相当な部分、新たに学ばねばならないことだろう。

そういう事情もあり、正直なところ私自身の年齢を考えると、キャリア形成をもう一度やらねばならないことにもなるこのような転職は明らかにリスクが大きい。では何故わざわざそんな暴挙とも言えるようなことをあえてするのか。

もちろんその理由の一つは待遇面であることは確かだ。新しい職場での待遇は、少なくとも賃金面では現状よりも大幅な上昇がある。これは一定のパフォーマンスを発揮できるようになるまでの暫定的措置なので、期待を超えるべくさらに努力を重ねなければならないのは致し方ないところだが、人はパンのみで生きるのではない。

今は色々と言うべきではないし、言ってはならない事柄もあるので、この段階では転職をするよ、という事実の報告でとどめておくべきだろう。ただ一つ、「おまえが消えて喜ぶ者におまえのオールを任せるな」という『宙船』からの引用を行うことでこの報告を締めくくりたい。


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