2011年09月
そりゃそうだろう  (2011.09.03)


先日、NHKBSでアメリカに亡命したイラク人の部族長が13年ぶりにイラクの故郷に帰国したときの話をまとめたドキュメンタリーを見た。彼はナシリヤ近郊の村の部族長で、90年代半ばに反フセインの武装蜂起をしたときに仲間を大勢殺されるなどの迫害に遭い、結果としてアメリカに亡命したらしい。

で、イラク戦争が終結して彼は故郷に帰国したわけだが、当初彼の帰国は地元の人々から歓迎されたらしい。だが、国内の治安が悪化し、「アメリカ流の民主主義をイラクにも定着させたい」として彼が始めた新聞などのマスメディアはあらかた失敗、最終的には彼は父親と共にアメリカの亡命イラク人コミュニティーに戻ることになる。内容としてはそんな話だ。

番組自体は全体として彼に対して同情的なトーンで貫かれているが、私にしてみればそりゃ彼の事業は失敗して当たり前だろうと思う。対イラクの経済制裁が苛烈を極め、彼がいた村自体は反逆の烙印を押されてフセイン政権から弾圧されていたであろうことを考えれば、その最も厳しく困難な時代に(仲間が殺されるという悲劇はあったにせよ)アメリカに亡命して苦楽を共にせず、フセイン政権が倒れてから部族長面をして地元に戻り、爆撃であらかた破壊されたインフラの復旧に私財を優先的に擲つこともせず、アメリカ流の民主主義なる、大多数のイラク人にとっては単なるお題目あるいは唾棄すべきイデオロギーを理念よろしくまき散らそうというのは、食べ物も水も薬もまともにない時代を10年以上過ごしてきた人々にすれば、破廉恥以外の何物でもないだろう。

一度逃げ出してきた共同体に出戻るというのは、それほどの溝が既にできあがっているのだということを前提としなければならないのだということを、彼は忘れていたように思う。そしてそのある意味贖罪のためには、もう二度とそこから逃げ出す意図はないのだということを、そして地元の人間に対しては彼らの言語に絶する悲惨の経験に報いるだけの物心両面に渡る支援と、かつての立場では許されていたような優越的地位からの発言や行為を徹底的に否定する必要がある。それを長きにわたって繰り返してこそ、ようやく彼の亡命という行為は共同体から受け入れられるものになるのではないのか。どれだけ彼がマスメディアの確立に汗を流したところで、それ自体が生活の何の役にも立つものではないということを、彼はまず認識すべきであった。

似たようなケースは、恐らく自分にも、自分の周りの人にもあるかもしれない。まずはそこを戒めるところから、無論始めなければいけないし、それがこのドキュメンタリーに対する私なりのもう一つの解釈であった。


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