2010年11月
仏語教育人脈には謎が多い  (2010.11.30)


……高校卒業から20年近く経った今、やっと一部の情報が開示された。私はその関係者にコンタクトを取った、それでは足りず ――出所不明なフランストーキョーにも手を出した。私がそこまで掻き立てられたのには理由がある。
#A氏の助言により、フランストーキョーには手を出していません。

というのはさて置きだ。

今日は中学時代の仏語の恩師でもあるP氏と食事をしてきた。コンタクトが取れたのは本当にふとした偶然で、毎週土曜日に参加している仏語講座の参加者のお嬢さんが出場したフランス語歌唱コンクールの主催が彼だということを知り、私の個人名刺を渡してくれるように頼んだところ、P氏から連絡が来たのがそもそもの発端だった。東京都内の仏語教育関係者の人脈というのは、特にフランス人の関係者という経緯でたどれば非常に狭いネットワークに実は収斂する。今回はそれを痛感したという次第だった。

彼が今非常勤にて教鞭を執っている上智大学に赴き、合流した後に赤坂のレストランバー・ホワイエ(http://r.tabelog.com/tokyo/A1308/A130801/13050511/)にて食事をした。月曜ということもあり店はガラガラ。

食事は3900円の最も安いコースに色々とオプションを付けて食べた。小生が食したのは以下の通り。

アミューズ:ジャガイモベースのカプチーノスープ
前菜:フレッシュフォアグラのポワレ
魚:天然近海鮮魚と天使海老のポワレ
肉:ブフ・ブルギニョン
デザート:クレーム・ブリュレ
コーヒー。

ワインはコート・デュ・ローヌの白(詳しいのは忘れた)とブルゴーニュのピノ・ノワールかなんかの赤のハーフボトル。白の方は飲んでくるに従って香りが開いてきてP氏もご満悦。赤はフルボトルで頼んでおけばよかったと二人で反省。

印象としては、非常においしいと総括していいかと思う。アミューズのコクは嫌味にならない程度にしっかりとこしらえてあり、その後の食欲をそそる内容。フォアグラはもう少し量があると幸せだが、ラズベリーソースとのマッチングは古典的ながらも悪くはない。エビのポワレはもう少し香草がきかせてあると味に立体感が出たのではないかと思うが、まあ仕方ないかなというレベル。
メインのブフ・ブルギニョンは絶品という評価を与えてもいいかと思う。恐らくワインはニュイ・サン・ジョルジョあるいはコート・デュ・ニュイあたりの下位グレードを使っていたと思うが、口に放り込んだ瞬間にとろけるうま味は、しっかりとした技術力をシェフが持っていることを証明している。これはピノ・ノワール系の繊細なワインと合わせていただくと最高かも。ただしこの店のワインは高い(新世界ワインは安い)。推定仕切りに対して粗利見込みは75〜60%程度。食事が相対的に安いので仕方ないけどね……
そんでもって最終的な費用は25K円くらい。まあこのレベルの食事なら、恩師への恩返しとしては安いのではないかと思う。勿論1人で行くのはムリです。

そんな食事をしつつ、P氏と母校についての現状についての意見交換をする。P氏によれば、ついにかの学校は選択第一外国語としてのフランス語の教育をやめたらしい。だが、マイケル・ポーターの『競争の戦略』における差別化理論を持ち出すまでもなく、それはマーケティングのあり方としては最悪の戦略である。決してトップ校とは言えない私の母校は、受験者層の減少という現実を目の前にして、独自性或いはコアバリューの明確化という喫緊の共通課題を抱えているのに、だ。
確かに、かの学校では今や生徒の25%が(寄付金欲しさに)医者或いは歯医者の息子というとんでもない階級再生産工場状態に陥っているという惨状であると聞く。しかも4年前あたりから聖マリアンヌ医科大学とか慈恵医大も仏語入試を廃止したらしいので、経営上の必要性に鑑みれば仏語教育の必要性はこれっぽっちもない。だが、そのような経営判断の誤りを犯した段階で、軌道修正を行うことは十分に可能だったのではないのか。
P氏の憤りは続いた。恐らく、このような現状を共有する相手がいなかったからだというのもあろう。一部の粗野な教員が大局観を見失って政治ごっこに奔走していたことについても彼は痛烈な批判を繰り返していた。
勿論、私はその現場にいなかった以上、それについて云々する権利はないし、母校が仏語を捨てて単なるブルジョワ向けのバカ学校に堕したところで私の仏語の能力がダメになるわけではないので、率直に言ってクズな連中は落ちるところまで落ちればいいというのが正直なところだ。だが少なくとも結果からすれば、彼ら教員の一部には、仏語教育という環境そのものが置かれている危機的状況を判じることなしに、つまらない自己保身と立身出世に汲々としているような人間がいたのは事実であり、それは少なくとも彼らの鼎の軽さを露呈している。彼らには言語と認識と思惟、そして差異に関する視座が決定的に欠落していたのだ。

まあ、実際私も彼が指弾していた教員の1人からは院生時代「お前は社会人になれない」とバカにされたり、愛用の楽器について「それはいくらで買ったの?」というような野蛮というか田吾作丸出しのことを言われたので、かの人間の野蛮さについては同意するところ大なのだが、P氏との話を通じて思ったのは、言語の多様性を維持することは、ともかくもヘゲモニーに与しない精神を涵養するものだということだ。外国語=英語というアングロサクソン覇権にどっぷり浸って他の言語を省みない人間の底の浅さは今更指摘するまでもないが、少なくともフランコフォンの末席を汚す人間の1人として、言語-認識の多様性を繋いでいくことについては、私も一隅を照らすべく努力したい。

そんなわけで、今度は来年早々にでも彼の家でホームパーティーをやろうという話になった。彼も忙しい人なので、それが単なる社交辞令に留まるか否かは神のみぞ知るところだが、いずれにせよこのような形でネットワークを結んでいくことは、私自身の矮小さを超えて必要なことだと思う。


飲んでばっかりだ  (2010.11.20)


先週の新宿での飲み会に続いて、今週の金曜日は知人と食事。一次会は串揚げで軽く済ませたあと、よく行くワインバーにて過ごす。マスター氏が勧めてくれたイタリアのピエモンテ州産のL'Insieme(1997,Mauro Molino)は結構な値段がしたが、ネッビオーロやバルベーラ主体のワインということで、普段よく飲むメルローとかカベルネ・ソーヴィニョン種主体のフランスワインとは異なった味わい。デキャンタージュすると結構早い段階で味が開いてくるのがポイント。

帰りは相当遅い時間になったが、近所のバーにて挨拶がてらジョルジュ・デュブッフのセレクション・プリュスとドメーヌ・ド・ラ・マドンヌの新酒を飲む。後者ははっきり言ってまずかったような。味も薄く、舌に残るタンニンの渋みと酸味のバランスがどうも安っぽい。前者はいかにもジョルジュ・デュブッフの典型的な味で、おいしいことはおいしいけどどうもインダストリアルな印象が。まあ所詮新酒なんで、出来を云々するのは賢いとは言えないんだが、どうも費用対効果を気にしてしまうあたりが貧乏人の悲しい性。口直しにローリストンのポム・プリゾニエールをいつものように最後に飲んで午前3時帰宅。

酒をのんびり飲みながら、色々なことを話した。小生の勤務する会社では居酒屋か大衆酒場は別にしてもバーに一緒に行ってくれるような同僚は基本的にいないので、バーにはほとんどの場合単身で行く。それだけでも何だかなあという感じがするのだが、形而上学的なものに対する価値意識をある程度共有することができる相手との会話というのはそれ自体として日々の行き場のない感情を少しは慰藉してくれるものだ。
無論、それだけで全てが人生が賄えるほどの年齢では最早ない。また、一つの理由だけにおいて全てを許容できるような社会的文脈に生きているわけでも勿論ない。だが、生そのものが既に失敗の境涯にあり、何事も実際無意味である以上、頻々とではなくともごくたまにであってもこのような時間を持つことができるのは無駄なことではないように思う。

また、月曜は中学高校時代の仏語の恩師との食事予定。都内某所のフレンチを予約したが、どうせまた飲むことになるのだろう。肝臓によろしくないのは別にどうだっていいが、財布につらいのは今後の出費予定を考えると何とも……

#本文中で記したワインバーに行きたい方は小生宛にご連絡下さいませ。忘年会がてら行きましょう。


うんざりだ  (2010.11.18)

色々なことが重なって正直うんざりしている。
なんで静かにほっといてくれないのかな。
もう疲れた。


グレツキが死んだ  (2010.11.14)

ポーランドの現代作曲家、グレツキが死んだ。15年ほど前に一番弟子を亡くしてからはほとんど作曲活動をしていなかったようだが、それでも現代音楽というとびきりマイナーな世界でそれなりに名を知られた人の死というのは、その訃報に接する度にやりきれない気持ちにいつもなる。

グレツキの曲を最初に知ったのは、私が学生の頃に放送されていたCBSのドキュメンタリーだった。ピーター・バラカンが解説を務めていた同番組で、「幻のシンフォニー」といういささか大仰なタイトルで放送されたものをミーハー感覚で視聴したのがきっかけだった。番組の内容はグレツキの半生を説明しつつ、交響曲第3番「悲歌」の第1楽章の低弦が同じ旋律を繰り返しつつ盛り上がっていくところと、第2楽章(これはイギリスのラジオ番組で繰り返し流され、同曲がスマッシュヒットを飛ばすきっかけになったものだ)を主に流していたように記憶している。映像には当然の如くオシュウェンツィムの強制収容所や、ゲシュタポ収容所の廃墟の様子が使われていた。現代音楽といえばハルサイの後半みたいに無調で不協和音でリズムと旋律が同列で扱われていて……みたいなものに慣れ親しんでいた当時の私はこの曲に大いに驚き、早速新宿かどこかのCD屋に赴いて、デヴィッド・ジンマン指揮・ロンドン・シンフォニエッタの演奏を入手した。ソプラノはドーン・アップショウ。あろうことか国内盤はもう廃盤らしい。

グレツキの作曲スタイルは元々はもっとセリエルで前衛的なものだったと知ったのはもっと後のことだったが、それはともかくこのCDを買ってブックレットを開きながら聴いたときの衝撃或いは感動は、今でも鮮明に思い出すことができる。この交響曲ではソプラノはナチスによる弾圧と第2次大戦の惨禍を扱った歌詞を静かに歌い上げるのだが、それまで私がよく聴いていた現代音楽では、例えばペンデレツキの『広島の犠牲者への哀歌』やノーノの『断ち切られた歌』、あるいは林光の『原爆小景』、さもなくばショスタコーヴィチの交響曲第8番のように激しくショッキングな音響でその悲惨を告発するものが多かった。しかし、この曲はあくまで沈思的な内容で、かつその罪業を悲しみや怒りに任せて批判するのでもなく、ただ人間の救いようのない愚かさに対する嘆きとしてゆっくりと歌い上げる(全3楽章はいずれもレントを指定されている)語法を採用しており、ある意味で音楽或いは美的なものを通じての私自身の倫理的思考はこの経験によって決定的にひっくり返り、その後の方向をもそれは変えてしまったように思う。即ち、歴史は総体として、あいるは我々の文明は総体として人倫の実現などには向かっておらず、逃れることのできない破局に向かっているだけであって、私に可能なのは恐らくそれを嘆くことくらいでしかない、という一部ハシディスムに通底する態度の基礎を、この曲の経験は形成してくれたように思う。この曲が癒しの曲であるとかいう人間は、正直耳が腐っているとしか私には思えない。この曲に沈殿しているのは、暴力の総体としての歴史によって常に虐げられてきた人間の声なき声である。

まずは、彼の冥福を祈ることにしたい。


日仏ワインの飲み比べ  (2010.11.13)


昨晩(金曜日)は新宿某所にて知人と食事会。使用言語は仏語だけ。長時間にわたって日本語禁止のお喋りは久しぶりだったので、いいリハビリになった、かな。結構語彙が貧弱になってた。

レストランでは日本の居酒屋風に好きなものをポチポチとつまみながら、酒のことや世間のよしなしごとについて色々と話した。酒飲んで酔いが回ってくると聞き取り能力が若干落ちてくるので、正直ちょっとつらい場面もあったが、それはそれで一つの経験だったかと。

で、食事会に来た知人の1人がフランス人だったので、日本のワインを紹介がてら注文。頼んだのは登美の詩。登美の丘の上級グレードに比べるとタンニン分が少々弱くて軽い味わいだが、気軽に飲むのには向いた一本。彼もそれなりに評価していたようだ。でもその後に頼んだジュヴレイ・シャンベルタン(2008年)の方がさすがにお気に召したようだが(笑)。

その後、知人の1人と帰りの途中でバーに寄って軽く飲む。いやー、最近の学部生向け仏語のテキストって内容詰め込みすぎ。半年で接続法までたどり着くって普通じゃないよ。
そんなわけで翌日はまた仏語のアトリエ。体力が削られての状態だったので、調子は今ひとつだったかな。


ベルギーから慰問を受ける  (2010.11.10)


9月以来Facebookに参加していることは過去の日記で書いたが、本日自宅に帰ってみると、何やら大きな包みが届いていた。先日注文したD300用の互換バッテリーにしちゃ随分過剰包装だなあと思いつつラベルを検めると、ベルギーに住むドイツ人の知人からのプレゼントであった。正確に言えば先だって送ったとあるDVDに対する返礼なのだが、その中身が凄かった。写真に載せたマグカップとメッセージカードの他に、

・ノイハウスのチョコレート
・Cafe-Tasse のホットチョコレート用ブロック
・ノイハウスのビスケット
・ブリュッセルの絵はがき詰め合わせ
・哲学名言集(電車の中で暇つぶしに開くのに向いてる)
・Paul Austerの"The Book of illusions"
など。

えれー感動したですよー(涙)
やっぱドイツ人いい人や(涙)


メッセージカードに書いてある文面も合わせて、実質的に見ず知らずの人間になんでここまでしてくれるのかという思いで、正直かなりウルっと来た。先行してやりとりしていたメールではブリュッセルに来たらガンガン飲もうぜ! ドイツでもし自分の故郷の近くに来たら知り合い紹介してやるから寄ってけよ! みたいなことも言ってくれたりする。たとえそれが社交辞令であったとしても、そのようなオープンな関わりを持つことができる環境というのは、時として閉塞感の中で崩れそうになる自分の人格を別のあり方に置換してくれるという意味で、有り難いものだと思う。
それにしても外国語の勉強というのはしておくものだ。


近況とか色々  (2010.11.04)

ご無沙汰いたしております。どうも色々忙しいというか、文章をまとめて書こうという気にもなれず、ダラダラと堕落した日々を過ごしております。

各種フィードでは書いていましたが、8月の下旬に剥離骨折しました。元々私は右側の脚だけ、特に足首から下が微妙に外側に曲がっているので(平たく言えば右だけがいわゆる「がに股」)、靴のかかとの減り方が左右対称じゃないとか色々問題はあるのですが、レスミルズのボディアタックに参加しているときに、スーパーマンステップの着地でそれを意識し忘れて思いっきり派手に転んでインストラクターとかマシンジムの人に色々心配をかけてしまいました。骨折したのは四半世紀ぶりかなあ……。骨折してから10日間くらいは内出血で右足の裏が真っ青〜真っ黒になってました。まあ、半月後からはプールトレーニングに復帰し、一ヶ月後にはマシントレーニングもエアロバイクとウェーブも含めて再開していたんですが。さらにはこの前の日曜からはレスミルズのボディパンプ60(ただし今のところ低負荷)も加え、単なるデブから筋肉デブに向かうべくトレーニングの内容をいじっております。

で、骨折から2ヶ月ほど経ったし、普段の生活には全く支障がないし、今日というか昨日エアロビクスを再開しました。さすがにボディアタックは負荷が厳しいので、脚の筋肉がもう少し戻ってからを考えています。レオタードを着ているとか勘違いする困った人もいますが、エアロをするときの服装は単なるトレーニングウェア+ランニングシューズです。ウェアはAdidasのClimacoolかNikeProのベイパーSSを着てます。汗を猛烈にかき出すと涼しさが感じられるのでオススメ。

あと、以前から飲んでいたMUSASHIのHUAN(有酸素運動を始めると10分程度で汗が噴き出し始めるので脂肪燃焼をしたい人には勧めます)に加え、ウェイトトレーニングがきつくなってきたのでNiも飲むようにしました。実際翌日の筋肉痛がかなり低減されるのに驚き。問題は値が結構張ることなんだよなあ。300グラムで8500円(Amazon価格)というのは財布に痛いです。

そんなわけで、来年からはボディコンバットにも参加するようにインストラクターから勧められてます(ボディアタック&ボディパンプと合わせれば高負荷系プログラム3本ということになる)。ここまでしないと痩せないというのは、なんでここまで太ったのやらという疑問が……

#ちなみにそれぞれがどんなコリオなのかはhttp://www.lesmills-japan.jp/あたりで動画を見て下さい。


build by HL-imgdiary Ver.1.25