2010年03月 |
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このまま行くとどうなるのかはロバでも分かる、「覚悟が足りない」とか抜かすのは愚か者だけだ
(2010.03.17)
太陽に向けて足を伸ばしながら、シャルリーと私は何を話す風でもなく、お互いが傍らで何を語っているのかにはさして注意も払わずに、頭の中にただ浮かんだ考えをやりとりしていた。コーヒーをすすりながら、時間がただ過ぎるに任せているのは心地よいひとときだった。シャルリーが彼の秘蔵のエロマンガを焚き火にくべなければならなかったという話を聞いた時には驚いたものだが、ただそれだけだった。エロマンガの処分現場を見るのはいつも悲しいものだが、ペド野郎といわれるのが嫌ならそれらは処分しなければならないという考えは持っておかなければいけない。
♪この誓い届け 銀河まで〜
(2010.03.13)
先日、フィットネスクラブでスタジオプログラムに参加していた時のこと。
CP+にいってきた
(2010.03.12)
珍しく積みタスクを気合いを入れて片付け、本日は午後からパシフィコ横浜で行われているCP+(www.cpplus.jp)に行ってきた。一応目的としては情報収集など。他にも目的がもう一つあるのだけれど、それはだいぶ先の話で実現するかも分からないようなレベルのことなので、今は伏せておく。 昨年までのPIEは各業界団体が足を引っ張り合ってて結局空中分解になったという話は聞いていたのだけれど、今年のCP+(どうでもいいがこのままだと検索しにくいぞ)はパシフィコ横浜に移動しての開催という点でどうしても地理上の不利を抱えてしまっているように思う。じゃあ千葉市の外れの幕張メッセはどうなのよという反論もあろうが、北ホールを除いても5万平方メートル以上の展示面積を持つ幕張メッセと全館合わせても2万平方メートル程度のパシフィコ横浜では展示可能な物量に圧倒的な差がある(ちなみに東京ビッグサイトの東棟も約5万平方メートル)。ドイツのフォトキナ、アメリカのPMAと並ぶ3大映像関連見本市を目指すんじゃなかったのか? ※ちなみにフォトキナ会場のケルンメッセの展示場面積は21万平方メートル、パシフィコ横浜国際展示場の10倍以上。でけえ。 実際、展示内容も正直かなり寂しいものだったと言わざるを得ない。主要なカメラメーカーは出展していたものの、新製品の発表があったのはペンタックスの645Digitalくらいのもので、あとはPMAなどで既に発表されたものが並んでいただけだった。まあ、デジタルカメラは海外売上比率が90%くらいを占める商品だし、成長著しい中国市場に比べれば日本市場にもう魅力がないと言ってしまえばそれまでの話なのだが、余りにも参加企業が少なすぎる。 物販コーナーもやる気があるのかないのかよく分からない状態で、正直これでは来年以降の賑わいが危ぶまれる状況だ(雰囲気としては消滅前後のWPC Expoに近い)。来年はPMAより少し前の時期に開催することで、新製品発表の賑わいで客を呼び込もうという考えもあるようだが、まずは参加企業を増やし、一日歩き回っても見終わらないくらいの展示物量と賑わいの水準を最低限達成しないとこのままではジリ貧に陥るだけだと思う。空いたスペースを写真展でごまかそうったってそうはいかないよ? じゃあそのためにはどうすりゃいいの? という問題が当然出てくるのだが、業界団体同士で内輪揉めしてるようじゃいい知恵は多分でないでしょうね。
無思慮なチラシ作りをクリエイティブと勘違いしても頭の悪さを示すことにしかならん
(2010.03.11)
本当は会社の創業者(今は相談役)と先々週の金曜日に都内の某レストランにワインを飲みに行った話でも書こうと思ったのだが、二人で痛飲しすぎて何も覚えていない為体だったので一切の記述を断念。いや、キャビアとか食べたしポマールの2005年とかを飲んだのは覚えてるんですが…… さて、先日モンテスキューの『ペルシア人の手紙』を読んだ。内容は何のことはない、著者がペルシアの王子の名を借りて書簡形式で当時の世相を批判しまくったものである。ルイ14世の治世の後半あたりからいかにフランスの経済政策がメチャクチャであったのかがよく分かり、また聖職者階級の堕落ぶりも(モンテスキューなりのバイアスは入っているにしても)見事に風刺されており、なかなかに楽しめた。 さて、この本を読んで少し経ったある週末、BS放送を見ていたら、NHKで「COOL Japan 発掘!かっこいいニッポン」(http://www.nhk.or.jp/cooljapan/)なる番組が放送されていた。司会進行役の鴻上尚史のトークが薄っぺらくて泣けてきたり、リサ・ステッグマイヤーが何のためにいるのかさっぱり分からないなど色々心温まるハートウォーミングな番組だが、日本に来ている外国人達が寄ってたかって日本のあれやこれやを褒めそやすというその内容に、ある種の空恐ろしさすら感じた。自分が作ったわけでもない何かを外国人に褒めて貰って仮構された全能感をその場凌ぎで満たして貰って何が楽しいんだ? そもそもわざわざそれをCOOLだとか何だとか言われないと愛国心とやらは維持できないのか? こういう低水準のゴミの存在の背景に、世界でサムスンやLGとかにボロ負けを続ける日本の家電メーカーの没落や、現代やKiaに追撃されて苦しんでいる、しかも最近は中間選挙の票欲しさの似非リベラル派のデマゴーグ達に叩かれもしている自動車メーカーの苦境などの存在を通奏低音として指摘するのはそう難しいことではない。国内では政府の財政収支が崩壊寸前になり、毎年最低3万人も自殺者が出て首都圏の交通機関は頻繁に人身事故で混乱するし、定期昇給とやらは遠い国の寝物語、30代労働者の平均所得はこの15年で約200万円下がったとなれば、ベンヤミンの説教をもってしても希望を持てという方が無理というものだろう。そこにドーピングでパンパンに膨らんだブタのエサみたいな共同体幻想があれば、人は誰だってそこに飛びつこうというものだ。希望はないけど自分達は立派だと思い込めるし、己が境遇の絶望的な状況を一時的に瞞着することができるから。即ち「COOL Japan」のような小児愛国心丸出しの思想の紛い物は、まさしく我らロスジェネ貧乏人にとっては腹のふくれる格好の御馳走なわけだ。栄養価はゼロだけどね。 だが経済の苦境は別に日本だけに限った話ではない。他の先進国に行けば失業率8%台なんて国はいくらでもあるし、そんな国では職業安定所の周りでやけ酒を煽って座り小便を垂れている人なんかもしょっちゅう見かける。また、郊外の貧民街では路駐の自動車を燃やして暖を取る少年達の映像が年末のニュースにはよく出てくる。高い水準で産業化社会が成熟し、人口オーナス期に入った上に労働力が余剰になって国内産業の国際競争力が低下フェーズにある国では、日本みたいな現象は大なり小なりどの先進国でも起きるのだ。だからそれらの国々では時々極右とか過激な宗教政党がバカみたいに躍進したりする。極右思想や原理主義は過去の栄光とか自分の耳に心地よい単純素朴なイデオロギーを信奉する無教養な貧困層を釣り上げるにはベストの好餌だからだ。昔は極左思想もその末席を汚していたのだが、ソ連と一緒にデリバティブ取引の藻屑と消えてしまったようだ。 即ち、社会経済的な文脈だけを、「COOL Japan」のようなくだらない番組が跋扈する理由とすることには無理がある。社会経済的な困窮と希望のなさを思想的疑似餌で瞞着するのであれば、むしろ過激な排外思想の方が遙かに効果的だからだ。従って、それは単なる極右思想の産物ではなく、別のところにもいくつかの背景を求める必要がある。 それはいったい何か? おおよそのところまでは考えているので続きはまた後日。 |
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