2009年09月 |
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Let's Note R7のHDD交換
(2009.09.29)
外国に旅に出ると一日当たり4〜6GB程度は写真を撮るので、今までは外付HDDやDVDドライブにデータを焼くことで待避させていた。だが、今年の旅行ではもしかするとSSDタイプのビデオカメラを新調するかもしれないので、それに備えてモバイルPCのHDDの交換を行うことにした。
原典版(笑)
(2009.09.26)
この連休中に書き上げた原稿を先日編集の人に渡したのですが、「対象としている読者の水準からすると難解すぎる」という理由で大幅な書き直しと相成りました。予想はしていたんだけどね……
OSを入れ直した
(2009.09.20)
HDD交換とかCPUの交換とか色々細かい変更を加えつつ使ってきた今のマシンだが、起動が一通り完了するのに15分くらいかかるようになってきたし、色々とトラブルも起きるようになってきたので、思い切ってOSを入れ直すことにした。SP+メーカーにて各種パッチを導入したインストールCDを作り、外付HDDにドライバとか必須ソフトのインストーラを入れたのを準備した上で、OSをインストール。大昔のWindows98時代は起動ディスクを作ってそこにCD-ROMドライバを導入してやってようやくインストール開始……という面倒くさいステップが必要で、実際にはインストール用HDにあらかじめインストーラをコピーしておくのが基本だった状況に比べると、やっぱりXPの登場は画期的だったんだなあと思う。ちなみにWindows7はソフトの互換性とかがある程度判明してお金が貯まったら、新しくマシンを一台組もうかと思う。今のPCのパーツの大半は録画用PCでも組むのに使う予定。 というわけでシルバーウィークの前半はシステムの構築と必要ソフトの再導入でほぼ終わり。明日からは別に色々と用事もあるので結局蟄居気味の過ごし方になると思うが、さすがに健康に悪いので散歩にくらいは出かけようと思う。
また載るみたいですよ
(2009.09.17)
さて、9/9日付の日記で某雑誌に記事が載るとお知らせした件ですが、その次の号にも原稿が載ることになりました。今度は文化論的観点から現代のデジタル機器の問題を考察するという、構想だけはかなりでかい話です。一回あたりの掲載ボリュームは原稿用紙換算で12枚程度なので、もしかすると連載になるかもしれないとの事です。
一部のサイトからのアクセスを規制します
(2009.09.15)
当サイトのアクセスログ(http://www.tunnel-company.com/report/replist.cgi)を久しぶりにチェックしたところ、いわゆるリファラスパムを行う業者がまたポコポコ沸きだしたので、一旦以下のドメインからのアクセスを拒否します。
「脳力」と「〜力」の胡散臭い関係
(2009.09.13)
金曜日は伊勢漬物主任他、某黒板色掲示板の皆様とオフ会。頂戴した水茄子の漬物は大変おいしく頂きました。翌日午前中は二日酔いで半分死んでましたが。
テレビは今や衰退しつつある産業である
(2009.09.12)
先日、日本テレビ系列の「高校生クイズ」を見た。テレビのバラエティ番組はほとんど見なくなって久しいが、それなりに有名な進学校の面々が出てくるこの番組については気が向いた年はだらだらと見ているように思う。ブログを色々と読んでみると「問題が難しい」との声が多かったが、高校生クイズのレベルであれば幸い私にも7〜8割は何とか答えられる程度の知識量は維持しているようだ。現役高校生の頃は微積で凄絶な点数を取ったりインド王朝史(今でもサータヴァーハナ朝とグプタ朝の区別ができない)が全く覚えられなかったとかベンゼンとエチルベンゼンの化学式が覚えられずに教師に罵倒されたとか嫌な汗をかかずには思い出せないような記憶が多いのだが…… それはさておき、番組そのものの作りがお粗末極まりない。出場者の着ている服が同じだったことからして、恐らくはスタジオでの1日録りで、勿論屋外ロケもなし。日本テレビ本社のアトリウムくらい使ってやれよというのは偽らざる所だろう。ひな壇座りのくだらない芸人のギャラを削ればそのくらいのコストは余裕で捻出できる。いずれにしても、余程激しく制作経費が削られているのだろう。セットもチープ感強すぎたし。 確かに経費が削られると、成果物のクオリティは一般的に落ちる。納期がタイトになるとその傾向は一層強くなる。貧すれば窮すし、おまけに時間がなければやっつけ仕事になるのはどの世界でも同じだろう。それは強く同意する。 しかし、成果物の質は単に物質的な基盤にのみ拘束されるものではない。限られた所与の中で、最高の可能性を模索するのは誰もが望むことだろうと思う。そして、そのような格闘の結果、物質的制約の軛を超えて強い印象を与えてくれたものが数多くあることを、私たちはよく知っているはずだ。事実、80年代後半の深夜番組のいくつかは異常なまでの低予算と強行スケジュールによって制作されていたと聞くが、それでも私達の記憶に残るものは多い。そして、同様のケースは90年代に発売されたゲームでもいくつかの例を挙げることはさほど難しいことであるまい。即ち、現状の閉塞を打破するのは物質的な質・量の改善もさることながら、第一義的には当事者の能力に深く依存するのである。 昨今のバラエティ番組の画一的なフォーマットへの堕落と内容の救いがたいほどの低水準化は、無論番組予算の削減という要素があることは否定しない。だが、それと同時に、番組を作る側の能力が、著しい速度で落ちているということをそれは認識させるものであるように思う。換言するならば、均一化された能力でルーチン作業に長けた人間しか、制作側には最早残っていないのだ。 それは何故か。テレビというメディアは高い能力のある人間を引きつけるに値する存在では、最早なくなりつつあるのだ。理由は様々にあるだろうが、能力のある人間を引きつけることができなくなった産業は、それ自体として既に衰退のフェーズにあることは歴史が証明している。即ち、古色蒼然旧態依然とした体質を改めることがないまま相撲の世界が魅力ある人材の確保に失敗することで誰にも明白なレベルで衰退しているのと同様、テレビというメディアは担い手・コンテンツ双方の質的劣化を拡大再生産する時期に突入しつつある。 更にいえば、このことはマクロなレベルでも当てはまるケースは多い。目の前の小銭を拾うことはさして難しいことではないだろうが、その道は地獄に続いていることを忘れるべきではないように思う。
雑誌掲載のお知らせ
(2009.09.09)
ええと、今月の末くらいに発行される某雑誌の最新号に、薄型テレビ市場の見通しに関する私の原稿が載ります。諸般の事情で署名記事ではありませんが、左大臣が誰かをご存じで内容をご希望の方には抜き刷りくらいはお送りできると思いますので、メール等お寄せいただければ対応します。
年末滞在予定
(2009.09.06)
ホテル予約終了。色々調べつつ探しに捜したら5時間かかった。
《往きと復り》《妻を帽子と間違えた男》を見てきた
(2009.09.05)
9/5は晴海トリトンスクエア内の第一生命ホールで行われた東京室内歌劇場のヒンデミット「往きと復り」とマイケル・ナイマン「妻を帽子と間違えた男」(日本初演)を観に行ってきた。晴海トリトンスクエアは勝ち鬨にある典型的なビジネス商業コンプレックスビルだが、エントランスの広々としたアトリウムはそれなりに開放感があっていい。 さて、今回観てきたのはいずれもそんなに長いものではなく、特に「往きと帰り」はトータルで15分弱というヴェーベルンの交響曲みたいな短い実験的作品なのだが、一応序曲にヒロインの独唱に二人でのアリア等のオペラの基本要素は一通り詰め込まれている点が笑える。 勉強用に聞いた録音はニューヨーク室内管弦楽団による英語版(同時収録がメノッティの「電話」というお得盤)なので歌の面での比較はできないが、賢人役に医者というのはちょっと違和感が残った。「システムの復旧」という点からするといかにもオタ然としたサーバー管理者等のIT系テクノクラートをあてがった方が皮肉が効いていて面白いと思う。そりゃ大道具とかの予算の問題もあるわけだけど…… 次の「妻と帽子を間違えた男」は録音が見つからなかったので初めて聴いた。原作は『レナードの朝』の原作者でも知られるオーリヴァー・ザックスのドキュメンタリー的アンソロジー小説。寡聞にして読んでません。すみません。 本作品では冒頭で予言されるとおりシューマンの歌曲集からの引用がミニマル風、あるいはリズム音楽風に引用されてあちこちで使われる。演奏前の中川賢一氏による解説では14曲も少なくとも引用されているようだが、シューマンと言えばチェロ協奏曲と「子供の情景」と「詩人の恋」くらいしかまともに聴いたことがない私が実際に聞き分けられたのは3曲くらいしかなかった。くやしい。 演奏は一部難ありとせざるを得ない箇所があったものの、総じて良好。比較するべき演奏がないので何とも言えないが、P教授役の今尾滋氏は認識機能がやられてしまった人の滑稽さと歌心の気高さのコントラストをうまく歌えていたように思う。ちなみにライブエレクトロニクス(というほどでもないが)を担当していたのは有馬純寿氏。 「妻と帽子を間違えた男」の内容の解釈については後日まとめるが、こういう作品を聴きに行くのは楽しい。でも客席の入りが8割くらいだったのは残念だと思う。 |
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