昨日は
(2007.08.30)
昨晩は実家で作業。明日は引越なので、暫く更新が止まります。
『見出された時』静かに進行中。 精神高揚のための力を友情に費やすのはいわばお門違いであり、そのやり方では、何の得るところもなくて終わる個人的友情を目指すことになり、もともと精神高揚のための力は我々を真実に導くものであるのに、その真実からそれてしまうことになる(p.524) 馴れ合いクネクネを称して自分には意見してくれる多くの友人がいると錯覚するような愚昧はハナから真理とは無縁、ということなのだろう。
前進、修練、そして鍛錬
(2007.08.29)
千野栄一『外国語上達法』(岩波新書)を2時間ほどで読了。
東欧諸語のエキスパートといわれた著者だが、彼の唱える外国語学習の秘訣は実に単純かつ厳しいものだ。即ち、毎日繰り返して少しずつ大事なことから覚えていけ、ということだ。例え観光旅行目的であろうと、簡単かつお手軽に言語を習得できるような必勝法など、有りはしないのだ。
毎日コツコツと勉強することは実は勉強法としては一番大変なものなのは経験上多くの人の同意を得られると私は思うが、実際目標意識を持ってコツコツやれば何とかなるもんだ、と筆者はユーモアを交えて教えてくれる。
まさに、その通りなのだと思う。反省しつつ、勉強に励みたい。
飲んだ
(2007.08.28)
酒に弱くなったと書きながら、アイリッシュパブにてビールを2リットルほど飲む。 さほど酔ってはいないのだが、腹がきつい。
一日英語漬けの日。"capable"や"usage"等の発音がフランス語訛ゆえ上司(米国留学者)に笑われる。 頑張って書く英文も彼から見ればどうもフランシズムを頻繁に起こしているようで、「フィリップ左大臣」という有難いんだか有難くないんだかよく分からない渾名を頂戴しているのだが、ここで読者の皆様に一つお伝えしておきたいのは、
翻訳事務所に依頼した翻訳がOKとは絶対に思うな
ということだ。以前某美容室のフランス語カルテの翻訳がグチャグチャ(ちなみにドイツ語の翻訳もかなり悲惨)で全く使い物にならず、仕方がないので左大臣が写真と日本語を元に全く新しいものを作り直したということはどっかで書いたと思うが、今回依頼した翻訳もかなりひどいものだった。直訳調で、ネイティブチェックが絶対に入ってないぞと思えるようなシロモノだった。
というわけなので、何かのついでに外国語の翻訳を頼む場合には、その言語にある程度詳しい人間をこちらでも用意しておくことを強く強く勧めたい。そうしないと、バカみたいな翻訳に法外な翻訳料を請求されるハメになる。私の英語の能力はリーディングベースなので、偏差値換算では関東ローム層を這う如きの水準なのだが、対等な交渉はあくまで対等な能力を持つ者同士という仮定の下に成立するという有史以来の冷徹な事実を、こんな時にふと身に浸みて感じるのであった。
アマゾーン
(2007.08.27)
『新音楽の哲学』の邦訳がようやく出ているのを見つけてアマゾンで注文。
届き次第気合いを入れて読みたいが、その前に『マーラー 音楽観相学』が中途になっていることに気づく。
三十路を過ぎて思うこと
(2007.08.26)
酒に弱くなったなあ、と思う。
大学生の頃とは飲む酒の傾向が変わったのも事実だが、以前は赤ワインならボトル2本程度までなら問題なく空にできたし、翌日二日酔いということもなかったのだが、最近ではボトル半分でも結構酔うようになった。無論1本を空にするのも難しい。
酒を飲む頻度が高くなり、アルコールの分解酵素の再生産が追っつかなくなっていることもあるのだろう。だが飲む頻度が高いといっても2〜3日おきに350ccの缶ビールを一本空ける程度。そんなに飲んだくれているわけでもない。
飲み方が変わったのも影響してているのだろうか。確かに昔の飲み方は大勢でワイワイと飲んで河岸を変えてカラオケ、といったような展開もままあったが、昨今は自宅で一人チビリチビリと飲む以外は外での飲酒は滅多にない。会社の同僚は下戸が多い(従って飲み会は「お食事会」になっている)ので仕方ないのだが、一人酒というのはテレビ相手に毒づいたところで余り楽しいものではない。
ああ、楽しく静かにお酒を楽しめる余裕が欲しいな。
お盆がない
(2007.08.25)
筆者が勤務している会社にはお盆休みがない。
従って、8月は祝日もない以上、カレンダー通りの勤務だと週5日勤務がつづくわけです。 この酷暑の時期に毎日会社というのは正直辛いです。 そんなわけでどこか気晴らしに出かけようと思っても、体力的に厳しい昨今は終日ゴロゴロデーだったりします。まあ、そんな状況なので取り立ててこれという出来事もなく、本をつらつら読むだけという一日ではあります。但し、『失われた時を求めて』はフィナーレに入っているので、非常に楽しいです。
Je ne suis pas "I'm not a Plastic Bag"
(2007.08.24)
今更ながら、アニヤ・ハインドマーチのショッピングバッグの話。
本朝では「ロハス」なるものが頭の悪い小金持ち向けの衒示的消費を糊塗する、極めて知能程度の低い産物に成り下がっているのは某雑誌を持ち出すまでもないことだ(雑誌のタイトルにアフリカの先住民族の言語の言葉を使っているのには笑うしかない)が、ここではっきりと分かるのは「エコロジカルな」という思想が通俗化するに従って、それは単なるマーケティング用語に成り果てた、ということだ。まあ、そんなことは「チーム・マイナス6%」が博報堂の仕掛けによるキャンペーン(発注者は環境省)であることも想起すれば理解するのには何の苦労もいらないのだが。
こうした状況に落ち込んでしまうと、「地球に優しいから」という選択理由そのものの付帯的意味が極めて怪しげなものになってくる。そういう消費行動をしていることで、化石燃料や原子力を大量消費する大都市に住み着いていることの、あるいはグローバリゼーションの形で最も仮借ない搾取を派手にやらかしていることの安っぽい埋め合わせをしているつもりなのではないのかという疑義を、もっと有り体に言えば胡散臭さをどうしても拭うことができないのだ。
こうした音声の風と化してしまった概念を救出するには、概念そのものの包括的批判によりそれを再度蘇生させるしかないように思う。つまり、そうした概念が提示する行動や状況が付帯する価値そのものの基底を再度検討の俎上に載せることにより、理念に昇華しうるかを考え直す必要があるように思う。フェビアニズムにすらならないようなお体裁としての環境保護は却って醜いだけだ。
イャャャャャャャャャャャャャャッッッッッッッッッホホホホホホホホゥゥゥゥゥゥウウウウ!
(2007.08.23)
D300予約しました。 金は貯めなければならない。
ダメだ
(2007.08.22)
頭痛と眩暈がひどくダウン。 会社休みました。 今日は寝ます。
デジイチー
(2007.08.21)
仕事で使う素材撮影のため、デジタル一眼レフとスタジオボックスを使う。 他に交換レンズとか外付けスピードライトとかブロワーとかも持って行ったものだから、鞄が重い重い。機材だけで3〜4キロはあったかも。
ところでウチの職場、デジタル一眼レフ所有率が50%を超えてるんですけどこれは一体どういう事ですか?
少しずつだが
(2007.08.20)
色々なものを片付けている。 短い間ではあったが、生活感が少しずつ生気を失っていくのは寂しいものだ。
色々なものを失ったように思う。 だが、それに拘泥していては、孤独に生きられるだけの自由を手にすることはできないと思う。
自由は他者を巻き込まないことの覚悟の上に初めて成り立つ。 だから、自由を冀うならば、他者との絶対的な断絶を同時に耐えなければならない。それは一見寂しいことではあるかもしれないが、それを越えて尚手に入れる、あるいは到達すべき世界があるように今の私には思える。
違和感を常態として
(2007.08.19)
先日テレビを見ていたら、ゆりかもめの各駅停車の旅ということで東京国際交流館が出ていた。外国からの大学院留学生のための寮がお台場のあたりにあることは仄聞していたが、こんな所にあるというのは初めて知った次第であった。
経済的にも立場の上からも、留学生が特定のコネなしに異国で住まいを借りるというのはどこの国でも極めて大変なことだ。特に発展途上国からの学生が東京で自力で下宿を借りるとしたらそれは殆ど奇跡といっていい。従ってそのための支援として国が寮を用意するというのはアンドレ・マルローの国際学生交流についての理念からしても恐らく必要だと思う。
だが、件の交流館があるのは江東区青海である。窓からは東京パレットタウンが間近に見えるようなエリアで、研究に没頭する以外にすることがあるのかと疑問に思う。そして研究に没頭しているだけであれば別に東京に住む必要はないし、「交流」を名乗る必要もないと思う。
仮にも、「交流」を名乗るのであれば、何と何が交流するのかを意識しつつグランドデザインを構築すべきではないのか。とりあえず入れ物だけ作ってしまえば事足れり的な発想は、大昔の出島を彷彿とさせる。そしてはそれは恐らく「交流」の意味するところからは程遠い。
交流、という意味で私が思い出すのはむしろ過去に読んだ蓮実重彦のエッセイだ。異国人と交わるのは、共通点を見出してありがちな同化圧力のメカニズムに巻き込んでいくのではないと彼はいう。むしろ、相手が自分に与える違和感をむしろそのまま違和感として受け止め、違和感が介在することが当たり前であることに慣れていくプロセスそのものが、異国の人々を歓待するということの掟ではないかと彼はそのエッセイの中で言っていたと記憶している(一応言い添えておくがこの違和感とは文化的ヴァンダリズムの相対主義的放置を意味しない)。
だから、私は、このような立地の選定そのものに、未だに閉鎖的なこの国の救いがたいほどの同調圧力・均質化への固執を見てしまう。同じものしか見えないところには、馴れ合い以上のものはありえないのだから。
非常識ですみません
(2007.08.18)
1文字5円、卒論に代行業者…大学は「見つけたら除籍」(読売新聞)
ああ、スミマセン、学生時代はレポートの代筆とかテスト用の予想問題&回答集とか請け負ってましたよ。ちなみに私が請け負った場合は上記の相場よりも割高でした。某非常勤講師の論文向けに翻訳したこともあります。余りにも非礼だったんで曝してやろうかと思いましたが。
それはともあれ、私が卒業した某学部では愛人関係にあった教え子の卒論を書いた助教授(当時)がいたとか、いなかったとか…… #ちなみにその「愛人」の学生が提出したレポートのコピーを読んだことがありますが、ワープロの書体はそのセンセーのものとまんま同じでしたな。レヴィナスのレポートなのにクザーヌスの話が出てくるところとか。
卒論の再審査は無期限で請求できるらしいので、色々と面白そうではありますね、S大先生。
決めた
(2007.08.17)
トーマス・クック時刻表を買ってきた。 冬版がそろそろ出るはずだがそんなことはどうでもいい。
日本語を使う暮らしにいい加減飽きた。気晴らしというかリハビリが必要だ。
食事。努力をしない人間に限って人の為すことにケチを付けたがるろくでなしだ、ということで一致。 タリスに乗ることの意義について考察。
訴訟
(2007.08.16)
熊谷市は猛暑対策にかかる費用を、汐留やら品川やら六本木やら新宿やら丸の内やら日本橋やら豊洲に林立する超高層ビル群の連中に対して請求する権利があると思う。 「都市開発」を謳い文句に、この国の景観を片っ端から滅茶苦茶にしてきた土建屋連中はそろそろ年貢を納める時期だろう。
O Mamo nie płacz ie—Niebios Przeczysta Królowo Ty zawsze wspieraj mnie...
(2007.08.15)
『千の風になって』がミリオンセラーになったとのニュースを朝見かけた。昨年夏に秋川雅史氏が歌う音源が出て、年末の紅白歌合戦でブレークしたらしい。
似たような話だなあ、と思いだしたのはヘンリク・ミコワイ・グレツキの交響曲第3番「悲歌」だった。これはドーン・アップショウがソプラノをつとめる音源がイギリスの「クラシックFM」で第2楽章だけ繰り返し放送されて、大ヒットを記録したという経緯がある。当時大学生だった筆者も深夜枠のCBSドキュメントで耳にしてあちこちのCD屋を探して買い求めたものだった。
第三楽章から、歌詞の一部を引用したい。わたしの愛しい息子はどこへ行ってしまったの? きっと蜂起のときに 悪い敵に殺されたのでしょう
人でなしども 後生だから教えて どうしてわたしの 息子を殺したの
もう決してわたしは 息子に助けてもらうことはできない たとえどんなに涙を流して この老いた目を泣きつぶしても
たとえわたしの苦い涙から もう一つのオドラ川ができたとしても それでもわたしの息子は 生き返りはしない。 そして今日は敗戦記念日であった。徹底的に破壊し尽くされて核兵器まで食らった挙句の敗北を「終戦」と言いくるめて包丁を研ぐ連中の姑息さを軽蔑しつつ、国家によって殺され費えた数多の未来の嘆きを聴く。
作ってみた
(2007.08.14)
イル・フロッタントを作ってみた。
肝心の「島」はまあまあうまくできたのだが、それを浮かべるカスタードクリームで苦戦。 初心者向けの平易な本では柑橘系の絞り汁を使うことでダマになることを防ぐとあるのだが、それを試してみる必要があるやもしれぬ。
読了
(2007.08.13)
『我が闘争』読了。 詳しい感想はMTの方に後日書くことになると思うが(思えばこちらも全然更新してないや)、大衆の行動原理の把握がムチャクチャ正確な一方で、ユダヤ陰謀史観の妄想の暴走ぶりが凄まじい。
でも、国民国家としての民族の団結の基底要素として経済的平等と空想社会主義的な政策をブチ上げるあたりは、ポピュリズム政治としてはよく分かっているとは思う。貧乏人と経済苦による自殺者を大量生産する一方で「美しい国」とかの極めて頭の悪い民族主義的スローガンをブチ上げるどこかのうつけ者との最大の違いは、その辺りの嗅覚なんだろうね。
君の為 君の為 命さえも賭けるとわめいてる
(2007.08.12)
お盆。 実家の片付け。
それにしても本が多い。わずか三十数年の人生でここまで溜め込んだのだから、平均寿命通り生きるとするとどうなるのか考えると末恐ろしい。せめて本が倒れて圧死、とならないようにしなければ。
教訓。 「Aの為に私は生きる」とは、「Aを徹底的に搾取して私は生き延びる」という意味である。 例:「国民のために私は生きる」という政治家こそ、国民からの搾取と瞞着ぶりがハラショーなレベルにある。
蠅取り壺からの脱出を考える
(2007.08.09)
愚かな人間に悩まされないようにするには、自らの愚かさを直視してそれを克服することが最善の道だとの思いを強くする今日この頃。
とりあえず、仕事関連以外にする話がない連中と関わるのは、どうも恐怖でしかないように感じる。 そもそもがノーノの話で他人と盛り上がったのなんて過去にも2回くらいしかないので、もう諦めてはいるのだけれどもね。
走ったことない誰かがまた裸足のランナーを語る
(2007.08.08)
いわゆる規制緩和の旗振り役の連中が「経営努力が足りない」とタクシーや高速バス運転手の生活苦を論うのを見て、何とも言えない気持ちになる。彼らの大半は二世議員だったり親が学内政治の大物だったりして、現在の地位に辿り着くのにはその他大勢よりも遙かに少ない努力で済んでいるからだ。
泥にまみれるほどの努力をしたことがない人間が、そのような艱難辛苦を撫で切りにするのは、非常に醜い。 能力や過程に様々な事情や個別性があるにせよ、懸命の努力を続けているに人間に向かって、それがあたかも全て間違いであるかのような物言いをするような輩は、恐らく例外なく人間の屑であると私は思う。
そしてそのような救いがたいほどに卑しい性根の輩というのは、往々にして努力の果実を手軽な方法で自分も獲得できないかと愚昧な方便を弄する。一年でフランス語が話せるようになりたいだって? イマージョンプログラムに突撃する覚悟もないくせにそんな甘ったれた目標なんか言うもんじゃないよ。
………………
修士論文を書いていて完全にテンパっていた冬のある日、私は「神」を見たことがある。 ガチガチの無神論者の私が「神」などというのを聞いて多くの人たちは笑うと思う。だが、毎日15時間近く机に向かいキーボードを叩き、資料に没頭し、論文執筆を続けていた私は、言い知れぬ絶対的に強く正しい何かが私を引きずるようにして筆を進めさせているのを感じたのだ。
まともに考えるならば、それは極限状態にあった私の脳味噌が見たある種の幻覚に他ならない。だが、そのような言語を遙かに絶する無限な力の高みの恐ろしさを感じることは、猛烈な、自己を苛むほどの努力なしには得られないものだと思うし、ゆえに己可愛さに努力から逃避して偉そうな口を叩く人間を私は軽蔑するのだ。
記憶が現在を構成すること
(2007.08.07)
『失われた時を求めて』最終巻「見出された時」進行中。
サン・ルーが戦死した。金髪碧眼凛々しく聡明、けれどもモレルとの同性愛にのめり込むという一面も持っていた彼は、第一次大戦であっけなく死んでしまう。訃報に「私」が接した時の描写は簡素きわまりないのだが、その後に描かれる、「私」とサン・ルーの楽しく信頼に満ちた数々の場面は、アルベルチーヌの死のくだりよりも遙かに痛々しい。話者と読者が共に構築してきた豊饒な時の営みが今一度反芻される中で、サン・ルーのこれからの不在は例えようのない悲しみ、そして喪失感として読者の胸を打つ。
さようなら、サン・ルー。
そして、いよいよあの場面が間近に迫る。
気合いと努力と目標意識
(2007.08.06)
今はどうも滅びようとしているらしいが、かつて私が初めてフランス語を学んだ学校では、少人数選抜制でのそれは苛烈といってもいいくらいの厳しい課程があり、そのおかげで生まれも育ちもバリバリのメードインジャパンだった私でも高校1〜2年の頃にはそれなりに当該言語が話せるようにはなっていた。その後も苦心惨憺艱難辛苦の結果いくつか言語はそれなりに話すことができるようにはなったが、かつて従姉からは「どうやれば外国語が話せるようになるのか」なる質問を受けたことがあった。 この手の質問に対する答えは実に簡単で、「話せるようになるまでひたすら勉強すればいつかは話せるようになる」というものでしかなく、事実その後従姉は私よりも遙かに英語等ペラペラのエリートさんになった。曰く、「ひたすら勉強していたら気がついたときには話せるようになっていた」だそうだ。少し悔しい。指導料くれ。
そんな経緯もあり、語学の習得には楽にマスターできる方法などなく、地道に自己流であっても勉強を続けていく他ないのだというある種諦めに似た考えを持っている。ターゲットが中高生の漫画雑誌を開けば、悩める彼らを釣り上げたいがために殆どインチキか詐欺に近い英語学習教材の広告が巻末に掲載されていたりするが、そんなものに手を出して笑いものになるのなら英単語の書き取りを延々やっていた方が余程力になるとは思う。
時間がないからとか体力がないからとか、理由は色々あるにせよ、努力するのは面倒臭い。怠け者具合においては誰にも負けないと自負できる私もそう思う。だが、目標があるのならば、それに報いるためにも横着はしたくないなあと一応思う。
間違っている者が一番正しい
(2007.08.05)
明日は原爆忌。ペンデレツキの曲を聴く。
核抑止論が一定のリアリティを持つ極東アジアの昨今の情勢では、したり顔で核抑止論を首肯することがさも正しい意見を、あるいは「正論」を唱えているが如き錯覚に陥るのもやむを得ないだろうとは思う。それくらい、某失言(前)大臣に類するネット上の自称現実派の人々は多い。
実際、核抑止論はそれ自体として考えるならば実際正しい。間違っていたのならキューバ危機あたりで人類は滅んでいただろう。事実、兵器における合理性を単純かつ徹底的に追求した場合、運用コストと使用後の各種対策を別にすれば核兵器ほど効率的なものはない。
だが、合理性の極みともいえるこの種の思考はそれ自体が正しいとしたらそれ自体として間違っている。全体において正しいとされるものはそれ自体として偽なのだ。即ち、合理性を追求することで必然的に増大する誤謬に自覚的でない限り、合理的な思考はその枠組みでは礼賛される。
問題は現実的なものは理性的であるとして「合理的」なものに味方することではない。かといってニューエイジに逃げ込むような非合理の蒙昧に縋り付くことでもない。合理的なものによって切り捨てられ抹殺されるものたちの姿と声を、まさに合理性の基盤たる理性の力によって反省的に救いだし、理性の暴力を理性的に反省することではないのかとも思う。
目がない人間はメチルでも飲んでろ
(2007.08.04)
テレビでワイン関連の番組をながら見する。どこの局でどの番組かは敢えて言及しない。 ワインの本場フランスを中心として欧州ではワインの消費量がガタ減りしているのは周知の通りだが、その背景には当然の如く食生活の変化があり、そいでもって食生活の変化の背景にはライフスタイルの変化――有り体に言ってしまえばアングロサクソン化――が存在している。
ここから導くことができるのは、嗜好の対象として「ワイン」の生態系が成立するためには、単なる自称愛好家の多寡ではなく、それを揺籃する生活環境そのものが要請されるということだ。少なくとも、銘柄を闇雲に覚えるだけの態度では結局の所それはトリヴィアルな知識の無意味な集積の反復作業に過ぎない。
にもかかわらず、だ。2〜3年前から一部で盛り上がっている、ブルゴーニュ産のワインを中心とした「ワインブーム」なるものは、そのガイドの内容の貧相さが物語るとおり、単なるワインの紹介に終始している。ガイドブックや番組ではカーブや葡萄畑、あるいは生産者のプロフィルも併せて紹介することで、いかにもそれが文化の基底部分から紹介していますよというような風情を装ってはいるのだが、結局の所ワインを嗜好するための下部構造に全く踏み込まない――そして現在の食習慣及び生活習慣も含めて総体的批判的考察に全く踏み込まない、あるいは「ロハス」というタワゴトを金科玉条にして振り回してニヤニヤと笑うだけだ――ため、それはニューリッチの連中にありがちな表層的な衒示的消費のための記号に成り下がっているのが実情ではないのか。結果、食事との総合的な評価によって形成されるべきワインの味覚に対する各種の形容は「キレイ」だの「おとなしい」だの、「すっきりした」だの「飾り気のない」といった、およそ味覚とは何の関係もない空疎かつ抽象的な印象批評に低回するのみとなる。そんな形容詞を使って悦に入りたければウェルチのグレープジュースでも飲んでいれば十分だし、お値段はもっと手頃だ。
なんぼ称賛されたところで、酒は所詮食事の添え物である。そこをはき違えてポケモン集めよろしくワインを飲み漁るのは、もういい加減、やめにした方がいいだろう。
ポルポト派的主張
(2007.08.03)
中国の食の安全性がフニャフニャ、という話をよく耳にする。
とりあえずゼニさえ稼げれば安全性は二の次、という無茶苦茶な農業ぶりを目にすると、こりゃあひどいなという感想を抱かずにはいられないのだけれども、それと同時にある種の疑義が頭をよぎるのもまた事実ではあります。
確かに「食の安全」を主張するのは悪いことではないのかもしれません。けれども、その概念が一人歩きをして無前提な金科玉条としてまかり通ることに、言い知れぬ気味の悪さを私は一方で感じます。
素人趣味の域を出るものではありませんが、私も借りている農園で野良仕事をしたりします。先日は玉葱の収穫をしつつ、畑の土作りをやってきたところです。秋から冬にかけては何を植えようかと実家の両親と相談したりもしています。
猫の額よりも遙かに狭い狭い土地ではありますが、それを耕し、手入れし、雑草を抜き、水をやり、剪定などをしているだけで半日くらいはあっという間に過ぎてしまいます。汗かきの私など、Tシャツを絞るとポタポタと汗がしたたるほどです。
機械の手を借りることが可能とはいえ、農作物から収入を得て生活している人々は、毎日このような大変な労働をしていることは私のような怠けものでも容易に想像がつくわけです。真夏のこの時期は雑草の繁茂する速度も極めて速いため、手入れの作業は煩瑣を極めます。
どうも、「食の安全」という概念には、農作物がそのような労働の果実であるという想像力が欠落しているような気がするのです。あたかも、機械のパーツを一つ一つ点検していけばそれで事足りるかの如き、食品をあたかも単なる商品として――資本主義経済の元では確かに商品に他ならないのですが――のみ捉え、支払いする貨幣に対する信頼性という範疇に「食」あるいは野菜や果物を育てるという包摂してしまおうとする態度、あるいは思考方法に、私は都市の住民の傲慢を嗅ぎ付けずにはいられないのです。それはあたかも、ルソーの「自然に帰れ」の思想を流行のゆえに模倣し、田舎風の民家を建てておままごとをしながらも、土には一切触れようとしなかった、あの女性のような醜悪さです。
もし、食の安全云々を気にするのであれば、だから、せめて馬鈴薯くらい自分で育て、収穫する労をとってみても罰は当たらないのではないかと思うのです。私達がスーパーやあるいは通信販売等で気軽に購入している野菜や果物の向こうには、都市住人がラッシュ時の満員電車に呻吟するのと同等の、あるいはそれ以上の労苦があるということに思いを馳せるのであれば、「安全で正しい」という抽象化され殺菌された思考の枠組みで食を捉えることにも少しは反省的になれるのではないのか、とも思うわけです。
価値は貨幣経済、あるいはコトラーが言うような消費者中心の資本主義システムの枠組みでは、確かに消費する側、即ち買う側のメリットにのみよって決定されがちです。けれども、私は、そのような価値決定は少しばかり対話を欠いていやしないかと、不安に似た違和感を感じつつ、収穫した玉葱で作ったジャムをパンに塗って朝餉を済ませるのです。
花火
(2007.08.02)
ベランダから花火鑑賞。
この部屋とも今月限りでお別れかと思うとそれなりの感慨があるのは事実だ。
色々なものを失った。それは仕方のないことなのだろう。
自由は対価として多くの供物を求める。それに耐えられない人間は自由を口にすべきではない。
|