2006年01月 |
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銀色のライカ
(2006.01.31)
年末にフィルムスキャナを購入した事は12月の日記に書いた。
たいくつー
(2006.01.29)
『エセー』三巻目。素朴派全開の護教論のオンパレードで少々飽きてきた。
あれあれぱー
(2006.01.28)
先日、レンタルビデオ屋から『ヒトラー 最後の12日間』を借りてきて観た。パッケージを買わなかったのは要らぬおまけばかりが入ったスペシャルエディションしか現状では売られていなかった為だ。
顔面石
(2006.01.27)
「萌え」なる概念はもう死んだ、とかなり以前の「独り言」で書いた事があるが、そもそも「萌え」とは虚構の登場人物、特にアニメやエロゲー等のそれに理想とも言うべき人格を全くの消費者の側から吹き込む事で物語から独立した生命を付与し恋愛に似た感情を抱く、というものであったように思う。そこには、当然人格的存在としての尊厳を得られることなく単なるヲタク、薄気味の悪い非社交的な連中と十把一絡げに扱われていた彼ら――時として私もそこには含まれただろう――の抗議に似た要求の呟きが聞こえていた。人格のないものに人格を吹き込みたがったのは、人格がある(と少なくとも自分では思っている)のに人格など有りはしないと社会全体からレッテルを貼られていたからなのだ。人は時として自己が求める事を他者に対して行う事で埋め合わせをしようとする。
「望み給え、欲し給え」
(2006.01.22)
「国民クイズを打倒して、いったい誰にこの国の運営を任せるつもりだ!? 杉本伶一&加藤伸吉『国民クイズ』(下)pp.428-436 最近、というよりだいぶ前から、国民クイズ制の実現を心の底で願う自分がいる。同作品未読の人の為に一応説明しておくと、「国民クイズ制」とは近い未来、日本で憲法第104条に「国民クイズは国権の最高機関であり、その決定は国権の最高意思、最高法規として行政、司法、立法その他あらゆるものに絶対無制限に優先する。本憲法もその例外ではない。」という条項が定められた政治体制を示す。視聴率98%を誇るテレビ番組「国民クイズ」(某番組のタイトルはこれからの剽窃である)での優勝者は、どんな願いでも日本政府が叶えてくれるというものだ。 言うまでもなく同作品は『素晴らしき新世界』や『レダ』等同様のディストピアものに当たる(例えば年金支給は抽選制であったりする)のだが、対話的能力や経済的合理性ばかりが称賛され、つまらぬスキャンダルに多くの耳目が動かされているのを見るにつけ、鶴見済がかつて言ったような「デカい一発」を待ち望む意識が頭をもたげてくるのを感じる。港区の高層ビル群の側をビル風に吹かれながら歩いていると、巨大地震で全てが壊滅してしまえばいいのに、といった邪悪な期待を抱かずにはいられない。 本質的にはそれは私自身の無能と無力さに起因する事はよく承知している。世界を変える前に自分を変えるべきことは言うまでもない。世間知らずで能力も低い事の腹いせに特定の集団を目の敵にする程の余裕も残念ながら今の私にはないように感じる。 だからこそ、いわゆる最終的解決を以てこのような苦痛を絶対的に終わらせてしまいたいという意識、それは基本的にはすこぶる怠惰なものに他ならないのだが、それでも全面的に別なものになってしまった世界は、少なくとも今の世界よりマシではないのかという妄想が頭をかすめる。 このような閉塞感は、程度の差はあれ常に意識につきまとって離れない。その意味で、経済的手段に依らない欲望の実現の口実と手段を与えてくれる国民クイズ制は、時として途方もなく魅力的に映るのだ。
おおおおおおおおおおおおおお……
(2006.01.19)
コニミノ、カメラ事業撤退 ※上の写真がやや後ピン気味なのはひとえに私の腕が悪いせいです。 ロッコール時代からミノルタを知る人には比ぶべくもないが、DOS/V Magazine Award(これもいつの間にか消滅してしまった企画だが)のデジカメ部門で初めてDiMAGE Xを見た時は驚きであり、パトローネも含めたフイルム装置から解放されたデジカメならではのコンパクトな屈曲光学系のスクウェアフラットモデルは、使用のフィールドを大きく拡張するという(フイルムの無駄を気にしなくとも良いのだから!)意味で、そしてポケットに突っ込んでおいてすぐに使えるという意味で、未来性を予感させるアウラをまだ纏っていたという意味で、デジタルカメラのコミュニケーションギアとしての可能性を強く感じさせるものだった。その前にも大学のバイト先でQV-10等を使っていた事はあったが、それとは全く次元の違うXの可搬性、ファッション性は、フイルムカメラの(一般ユーザーレベルでの)そう遠くない終焉を予感させたものだった。 その予感は果たして当たる事になったが、昔から赤金を好む(赤色の柄物ネクタイだけで3本以上、赤のワイシャツは夏冬それぞれ3枚以上所有、赤靴下に至ってはたくさんたくさん……)私が飛びついたのは、その後継機種に当たるDiMAGE Xtだった。画素数が少ないため快適な動作が可能なこの機種は、今使っても十分にバランシーな印象を受ける。 その後DiMAGE Xシリーズでは機能追加とカラーバリエーションが停滞し(しかも自社開発ではないので性能向上もほとんど無かった)、赤色モデルがなかなか発売されなかった事もあって、コンパクトモデル購入の意欲は一旦滞っていた。そもそも主用途がwebサイト掲載画像なのだから500万画素も600万画素も要らないわけだ。 ようやくコンパクト機を買い足したのは去年の夏。屈曲光学系で手ブレ補正付き&赤モデルということで躊躇わず予約したのだが、決してその画質や性能は満足できるものではなかったと言っていいと思う。 それでも私はこのカメラを普段から持ち歩いている。それは恐らく、屈曲光学系フラットモデルというこのカメラのスタイルが、何気なく日常を撮り溜めるという点において、撮影に対する積極性、つまり一眼レフのような「一撮入魂」の気合いを必要としないからだと思う。その気軽さ、ファッション性、素人ユーザーのカメラライフを拡張する可能性、そして撮る行為によるコミュニケーション機会の拡がり。DiMAGE Xシリーズはそうした世界を私に教えてくれたデジカメであった。単なる機械、しかもデジタル家電と呼ばれる機械に記憶を纏わせるのは流行りの態度ではないだろうが、これらのカメラを懐に入れて外を歩く時の、意識が外の世界へと少し拡がっていく時の期待や静かな興奮を、私はこのカメラと共に思い出す事になるのだろうと思う。 残念。その一言に尽きる。
ん?
(2006.01.15)
今日はスポーツクラブでスタジオプログラムで汗を流していた。
耐え難い
(2006.01.13)
行ったよ
(2006.01.09)
ゲルハルト・リヒター展@川村記念美術館に行ってきた。
頭いてえよ
(2006.01.04)
同窓会誌から抜粋。校長の言葉。 本校では茶髪は禁止されている。そのルールに従えないのであれば、別の学校に移って頂くしかない。 「判断力の不足は、元来、愚かさといわれるものであり、そのような欠陥はまったく除去することが出来ない」(カント) 救い難い程の因循姑息は挫折或いは敗北に依らねば脱出する事が出来ない。
朱鷺によせる哀歌
(2006.01.03)
去年の暮れに届いていた母校(中学・高校)の同窓会誌を読む。仏語第一外国語選択履修者の激減の報に触れる。 |
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