涼しい
(2005.09.26)
朝晩涼しくて快適。 スポーツクラブに通い始めて以来、体重は今日現在で4kg強落ちた。 私のリアル体重からすると、はっきり言って少ない。6〜7kgは落ちて然るべきだと思う。要するに怠けているのではないか。
10月からはスタジオトレーニングももう1ランク負荷の強い物にしてみようかと考えている。
「周りの事物や人々の中にいつも言い訳を探している人間の姿をしたロボットなど、どうしようもないではないか。そこにはどんな喜びもない。なぜなら、周りの事物や人々が不幸な人間を考慮しないことは余りにも明白だからだ。」(アラン)
買った
(2005.09.24)
D70買った。sじゃないけど。
ベゾンシオ
(2005.09.19)
カエサル『ガリア戦記』読了。 この本の1章にはベゾンシオ、現在のブザンソンが出てくる。で、この町のシタデルと呼ばれる要塞跡はガリア・ローマ時代からの古戦場として有名で、郊外の森の中にはローマ街道の跡があったりした。
読みながらそんなことを思い出しましたよ。
そうそう、リンク先にあるFond d'écranは「壁紙」の意です。写真をスキャナで読み込んだだけみたいですが。
追記。今までアドレスとか予定管理にはLotus Organizer(一応最新版のはず)を使っていたのですが、祝日データのアップデートが全然なされないので、Outlookに乗り換えてしまいました。大昔にはプレゼンツールをFreelanceからPowerPointに移行したし、さらにその昔にはワープロだってWordProを使っていたのに……シクシク。 OpenOfficeでも導入してみるかなあ。
人が多い
(2005.09.18)
秋葉原のヨドバシカメラに行ってきた。カメラ関係の小物をポイントで引き替えて帰ってきたが、とにかく人が多い。入り口付近の携帯電話売り場は事故でも起きるんじゃないかとクラクラするほどの混みようだった。 だが、肝心の価格はそんな安くない。ポイントで5%上乗せして還元とかはやっていたが、価格ベースでは中央通り沿いの店の方が圧倒的に安い。ううむ。 そんなわけで中央通り沿いのじゃんぱらで1GBのCFカードを買ってきた。ヨドバシの半分以下の価格。ハラショー。
で、ショートカットも兼ねてつくばエクスプレスにもちょっと乗ってみたのだが、かなり空いている。朝の千代田線や常磐線の混雑具合は殺人的を通り越して虐殺的(まさしく、「労働は自由につながる」らしい)であると言うべき水準にあるが、その解消にはあんま役立っていない感じがする。結局得したのは誰だ?
この事例も含めて、首都圏の鉄道網の料金体系の複雑怪奇さはもはや私の理解を超える。パスネットとかSUICAみたいなプリペイドカードによる見せかけの簡便さに騙されるべきではない。キセルもできなくなったし。
このような怨嗟を愚昧な労働者の戯言と切り捨てるのはたやすい。近年の都内高層マンションブームはその裏返しでもあるわけだが、3000万もの人口が一都三件に集中していること自体がそもそも異常であって、地方経済にもっと頑張ってもらわないと、地方が(首都圏を中心とした)大都市圏の稼ぎ出した税収におんぶにだっこといういびつな構造はますます加速することになる。地方のローカル紙を読むと、半年に一回は「今年の公共事業特集号」みたいのがあって、そのタカリ構造(しかも業界団体主催の「情報交換会」の案内まで載っている始末だ)が余りにも露骨なので思わずビリビリと破り捨てたくなるわけだが、田中某よろしく地方に金を回せと唱える人々はこうした構造には何の疑問も抱かないのだろうね。ああ、いやだいやだ。
うむ
(2005.09.13)
プルースト『失われた時を求めて』の「花咲く乙女達のかげに」読了。 うむ。これはいい意味でギャルゲーだ。素晴らしい。特にアンドレ。
あー、邪魔くせえ
(2005.09.08)
帰宅してみると、脂ぎった中年男がにやけている葉書が2葉。投票のお願いだ。 破く前にちょいと見てみると、大学の卒業生名簿を使ったらしい。学部と大学院で併せて2枚。
そいつも学部と卒業年度こそ違うが同じ大学卒らしく、卒業生名簿を購入してはせっせせっせと発送しているわけだ。小中の生徒名簿を利用して最初はフレンドリー→最後に投票要請というのは信濃町のニセ宗教政党もよくやっていることで、ドブ板選挙の小選挙区制ならよく聞く話だ。
問題はその先だ。 通常、業者が名簿屋を使ってばらまくDMは、よほど悪質な業者でもない限り、普通はオプトアウトの方法が明記されている。ところがこの候補者のDMにはその方法が書かれていない。どうしても送付を停止したければ選挙事務所にイライラ電話を掛けるとかしかないのだろう。実質的にこれでは(高校生の頃よく送られてきた)エロビデオ通販のDMと同じだ。いやむしろ、むさ苦しい中年オヤジのにやけ面を拝まなければならない分、こちらの方が数千倍迷惑だ。「アナタとワタシは同じ大学の仲間ですね〜、だから投票してくださいよ〜」などという気持ちの悪い馴れ狎れ圧力は不愉快を通り越して寒気がする。そんなんで票が貰えるほどかの大学は堕落したのか? 堕落したけどさ。
というわけで、この候補者がくたばらない限り、民主党には投票しないことにした。バイバイ岡田ちゃん。
身体が逆襲する
(2005.09.06)
スポーツクラブで体を動かしていて思うのは、インストラクターのフォームに比べると自分のそれは余りにもダメダメだということだ。顔がでかいので猫背気味だし、おまけに太っていてバランスが悪い。ここ7〜8年前髪の最前線は後退を続けており、ともすればNeXT時代のスティーブ・ジョブスのようなナード全開の出で立ちだ。というわけでダイエットは続けるですよ。
でだ。負荷がややきつめのトレーニングを行っていると、さして難易度の高い内容でもないのに自分の身体が思うように動かせないことがある。気ばかりが焦って、足は鉛のように重く、意識に逆らう。ハイ(それでも猛烈な有酸素運動をしていると、段々色々壊れて楽しくなってくるのも又事実だ)になる直前のこのような状況においては、私の身体は私に逆襲している。今までの怠惰すぎる生活を弾劾するように。
そう、少しでも厳しい状況に陥ると、私は満足に自分自身の身体すら制御できない。天下国家に関わるあれやこれやの考えは暗渠の汚物のように浮かんでは沈み浮かんでは沈みを繰り返しているが、まずは少々のきつい状態でも悲鳴を上げない身体を作ることが先なのではないかとか反省している。
だからとりあえず脂質の多い食事は控えますです。
ネムネム君
(2005.09.03)
経済の話をしていると、例えようもなく精神的疲労を感じる。 確かに仕事関連ではコトラーやらポーターやらハモンドやら色々読んだり勉強したりはするが、読後にいつも感じるのは空虚感であり、認識に伴う充実感では全くない。確かに彼らの分析や戦略提言は非常に鋭く、感心させられるところが多いが、だから何なのだという疑問をどうしても拭い去ることができない。充実感という意味では多変量解析の演習とかやっている方がまだ楽しいのだ。
先日もとある人とリテラシーの問題をメルロ=ポンティと関連させてディスカッションしたが、相手はデータの裏付けを求めるばかりであった。現象学に対する私自身の理解の浅さは言うまでもないとして、おそらく経済的合目的性という観点に立てば、正しいのは相手の方だろう。そして私はそれらの与件のみで成立する実証的な過程の正しさの概念を首肯することが出来ないでいる。
ほぼ疑いなく、私は経済の言語に馴染むことはもう出来ない。フランス語とかドイツ語といった経済的ヘゲモニーの観点からすればおよそ役に立たない言語の習得に嬉々として勤しんでしまう。そして、経済の研究を生業とするような人々とは、私は絶大な努力を払うことなしにはコミュニケーションを行うことは出来ないだろう。言うまでもなくそこまでしてコミュニケーションを行う必要を見いだすことは極めて難しい。
言説における正しさの概念の多元性・共約不可能性が相互に侵犯しあう状況を指してリオタールは「争異」と言ったが、近頃その現状の意味を強く感じる。単なる合理性ではなくて、経済という言説の総体それ自体が、私にとっては本質的に違和の対象でしかないのだ。
これを指して惰弱であるとか退嬰的であるとか自分勝手であると思いたい人はそうすればいい。通勤電車で日経新聞を読みふけるような御仁はそれで正しいのだから。
ほら、こんなに美しい。
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