「むだなの」
(2004.05.31)
声帯をやられていて声が出ない。相手の言っていることは勿論分かりすぎるほど理解可能なので、すっかり澪ちゃん状態だ。スケブを持って行動するか。でも私の普段の会話は無駄に回りくどい表現が多いと評判なので、画用紙では非エコロジーであることこの上ない。 では用紙としては何を選定すべきか。
- トイレットペーパー:確かに「便所の落書き」以上のことは語っていないような気もするので有効かも。
- 裏紙:画板状の固定版が必要。しかも私の字は超が付くほど汚い。書類を全てPDFにしたのはそのためだ。
- チラシの裏:最近はコスト削減のためか、裏面が真っ白というチラシが減った。近所のスーパーも社長の名前をそのまま冠していた時は裏が白かったが、なんかありがちなダサい名前になってリニューアルしてからは週刊少年ジャンプのような紙になってしまった。
- 小型のホワイトボードを持って歩く:これ使えるかも。発展途上国の児童達はノートという贅沢品なんざとても買えないので、ミニ黒板をノート代わりに使っているそうだが、いっそのことその精神に立ち返るのもいいかもしれない。
- 何も話さない:雄弁は銀で、沈黙は金だそうだ。んじゃ日本人に大人気のプラチナは?
- 私は貝になりたい:頭を砂に突っ込むべき時期なのかもしれない。
んじゃ、おやすみなさい。
「主体的」とはそもそも何なのか
(2004.05.30)
自己啓発セミナーそのものの手法による演説を目にする。 もう耐えられん。
レベルの低い突っ込みには辟易しているので、会議メモは全てヴォイニッチ文字で記述することにした。
玻璃が砕け散るような音
(2004.05.29)
「現実」に対する拭えども拭い去れないこの憎しみの核にあるのは何なのだろう。
「だからみんな死んでしまえばいいのに」といういつぞやの映画のキャッチコピーは口に出せば気恥ずかしいだけだが、呪詛としては、この上なく誤っていると同時に、正しい。
気管支が
(2004.05.28)
咳を患っている。 気管支がもともと丈夫な方ではないので、風邪を引くとヘタすりゃ何ヶ月もゴホゴホやってたりするのだが、取り合えず発声器官は商売道具の一つだから耳鼻科に行くよ。
そろそろ本気モードが爆発しそうだ。
眠剤が効き過ぎて動きが緩慢だ。
疲れた。寝る。
排気ガスと暗渠
(2004.05.27)
セミナー終了。意味ない。 こんなのに3万円も払う御仁の気が知れない。顔は知ってるが。
折角なので旭屋書店に寄り道。コジェーヴの『ヘーゲル読解入門』を見つけたので買った。どうでもいいが哲学のコーナーの隣にK福の科学の本を置くのはやめれ。
ふとんがふっとんだ
(2004.05.26)
タダで配られている各種フォントとかを後先考えずドカドカインストールしていたら、総数3000種類を超えてしまいましたあうー。
で、どんなのがあるのかFontsディレクトリを開こうとすると、それだけでexplorerが落ちてしまうのはどういうわけですか隊長。ちなみにXP。
もう面倒くさいから放置の方向で。
あしたはF井●研とやらでの研修。この総研といえば社長さんのオカルト趣味がトンデモ方面では夙に有名だし、宣伝とかやら何やらで送ってくるDMのデザインが家電量販店のようなサイケデリック大狂乱大会なのにも辟易しているので、同じ五反田に社用で行かされるのならばもっと楽しいところが近所にあるだろうとか下世話な妄想が頭をもたげたりもするがあしたはパーなコンサルが出てきたらおもろいなぁ。
迷惑なものが色々と
(2004.05.25)
ワン切り初体験。 この前初めてスパムメールが来たし、なんかそういう時代なのねとか今更の如く感じる。
そういえば、tunnel-company.com開設以来、株式会社経済文庫という胡散臭さ200%の組織からスパムメールが延々延々届いている。少なくともヘッダを見る限りOCNを利用してるっぽくて、orgdns.orgを使って立てている自宅鯖もOCNらしいので、とりあえずOCNのサポセンに連絡したですよ。 一応皆様のためにサポセンのアドレスを公開しとくと、abuse@ocn.ad.jp だそうです。
せっかくスパムを送りつけるのだから、文章として読み応えのあるのが欲しいにゃあ……
風邪引いた
(2004.05.24)
また風邪引いた。 二週連続。 ストレスで免疫力が落ちているのかね。
今日はもう寝る。
合宿
(2004.05.23)
大昔、私がまだ院生だった頃、複数の研究室合同での合宿ということで箱根にいったことがある。 何せ金もなければ未来もない人文系院生の院生である。運動神経だって私も含めてかなり危機的な人間が多いため、スポーツもせず、つまらぬ研究発表などをして時間を潰していた。
で、夜になると当然飲み会ということになるのだが、これもまた悲惨な状態であった。私が所属していた研究室はめいめい勝手主義が浸透していたので取り立ててどうということもなかったのだが、全体で一部屋に集まってやった飲み会は陰惨としか形容しようのない有様であった。教授の学説の批判をすると、彼の鞄持ちと化しているオーバードクターが血相を変えて「お前はなにも分かっていない」とガミガミ言ってくるし、ハイデガーの基礎的存在論を揶揄気味に当時のドイツの政治状況を絡めて批判的に話すと「貴様には修行が足らん」とこれまたお説教。バカバカしくてやってられないですよ。本来こういう時には「コンパニオン」なるおねーちゃんを呼んで無理でもいいからドンチャン騒ぎをするのが流儀だと社会人の知人から聞いたのは大分後であった。ああそうだ、思想は騒音によって死に絶える(ニーチェ)のだ。話すに値しない「思想」などはとっとと葬り去ってやるが良かったのだ。精神のない人間は酒精にまみれているのが一番なのだ。
静かに、静かに勉強をしたい。
社会なるもの
(2004.05.22)
幼い頃のある日のある事件を契機として、私は「社会が提唱する『現実』なるものは多数者の暴力によって決定されたものだ」という考えをずっと抱き続けて今に至っている。
年を取るにつれて、この種の暴力的な言辞にはより頻繁に遭遇するようになっている。最近はそれに陳腐な精神論まで加わって、そういった手合いに直面するたびに視界そのものが石を投げ入れた水面の如く歪むようにすらなってきた。
もういい。そんな下らない正論は聞き飽きた。 ほっといてくれ。それほどまでに君たちは自らを疎外し抑圧してきたものに対して卑近な復讐を果たしたいのか。だったらテロを起こすなり革命を起こすなりしてくれ。私に八つ当たりされるのはうんざりだ。
年をとって隠居したい、というのはそういうことだ。
「哀れ、はかなき生を受けし者よ、偶然と労苦の子よ。聞かないほうがおまえにとって一番ためになることを、なぜむりに私に言わせようとするのか? おまえにとって最もよく、最もすぐれたこと、それはとてもおまえにはかなわぬこと、すなわち、生まれて来ないということ、存在しないということ、何ものでもないということだ。だがおまえにとって第二によいことがある。……それは早く死ぬことだ。」(ギリシア神話・ミダス王とシレノスの物語)
おそい
(2004.05.20)
ここ半年ほど、アドルノの『新音楽の哲学』の邦訳を待っている。 龍村あや子氏が平凡社から新訳を出すらしいのだが、予定の2003年がとっくに終わっても出てこないのはどういうことだムキー!
手許には一応仏訳版ならあるのだが、原典はいつか金が貯まったらズーアカンプ版の全集買うと決めているので未だ入手せず。
訳しちゃおうかなぁ。
(無題)
(2004.05.19)
シェリング(Vn)/無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ。
音そのものが無限の空間で、時間とは無縁の世界で響いているかのような錯覚すら覚えてしまう演奏。 浄福すぎて言葉を失う。 特にシャコンヌの、練習番号Zから始まる部分の、この世のものとは思えない孤独な至福感は何だろう。
精神というもの
(2004.05.18)
今日の話は愚痴です。
会議。原則論に固執する精神論を声高に連呼する御仁に対してキれかかる。
が、途中からそんな相手に精神論の意義をクドクドと説いても無意味だし時間の無駄であることを思い出してドライに切り捨てる。やだなあ。
所謂「みんなで頑張ろう」式の精神論がバカバカしいのは、それが形式主義でしかないからだ。つまり、精神の概念に遡行して問題の解決を図ろうとするのであれば、その方法論は自己破壊的な弁証法のスタイルをとらざるを得ない。精神は自らを否定する活動のうちに自らの生命を見いだすからであり、それはスローガン的なイデオロギーに収斂するものではあり得ないからである。もし、精神を規定する何らかの原理原則なるものが単体かつ無前提的に存在するならば、それ自体が既に非精神的であり、ご立派な精神論そのものが拠って立つと思われるあの形而上学的理想国家はかの有名な独裁国家と何ら変わりないことになる。
疲れた…… 会議きらい……
健康
(2004.05.17)
赤くしてみた。
大きくしてみた。
タグが反映されるかどうかのテスト。
さて。
風邪を引いてしまった。おかげでこの二日間は完全にパーだった。 気候の変動に体がついて行けなかったのが最大の敗因なのだが、日頃からそれらは意識的に管理しているつもりなのがさらに腹立たしい。
手書きの原稿が全て誤字脱字だらけという夢を見た。実際、字は汚く、それゆえ仕事場では書類の完全デジタル化を一人で進めていたりもするのだが、誤字脱字とはなあ…… 漢字の勉強を最近していないことへの無意識からの警告だろうか。ううむ。
テストその1
(2004.05.16)
書き込みテスト。 写真も載せられたら、いいなあ。
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