12/25(土)
そんなこんなで7時半頃起床。朝食をとりにホテルのレストランに行くと、日本人観光客の団体がいた。団体といっても5人くらいの小さいグループ。
そのせいか、ここのホテルの朝ご飯は米が出る。勿論インディカ米を炊いただけの代物だが、ハリッサと塩と黒オリーブを混ぜて食べると結構いける。ほとんど丼飯のようにしてガツガツ食べ、ジュース類を飲んで1日に備える。
可能であればこの日はレザー・ルージュというメトラウイから出ている観光列車に乗りに行きたかったのだが、土曜日は完全貸し切り以外は運休ということで断念。車の運転手のA氏はネフタの「コルベイユ」というオアシスが面白いかもしれないと語っていたが、写真で見る限りただの池ということで、この日はトズールに留まって休息をとりつつ荷物の整理と写真等のバックアップ作業に充てようということになった。
ホテルのすぐそばのメディナを散歩がてらうろつく。A氏の案内で大体は歩いてはいたのだが、モスクのそばとかは通っていなかったのでそのあたりもふくめてブラブラと写真を撮る。
このあたりの土地まで来ると習俗も相当保守的で、既婚女性は黒ずくめの服を着ている。
一通り見物も終わったので博物館でもみていくかと思っていたところ、地元のオヤジに声をかけられる。案内してやる、ということらしい。あー、チップ欲しいのね、とは思ったが、家の中も見せてやるというので案内してもらう。実際家に入れてもらうと、彼の息子とおぼしき子供がいた。その他近所の家の数件も見せてもらう。基本的な構造はどこの家も同じで、中庭に面してそれぞれ個別の機能を持った部屋がいくつかあり、それらが四角形のユニットを全体で構成しているというものだ。
最後に当然ながら土産物屋に連行され、あれを買えこれを買えとうるさくいわれる。七宝焼きのキーホルダーが中々面白かったので、さんざん交渉の末5ディナールに値切って買う。おやじさんには2ディナールを渡して帰ってもらった。ちなみにこのキーホルダーはフランスで紛失してしまった。
再び博物館への道をたどりながら、考え込む。
せいぜいが2ディナール程度の小銭をせびるために、わざわざ外国人にたかり同然のガイドを行ってきた彼の内面はどうなんだろうと考えると、どうしても暗然とならざるをえないのだ。
イスラム教ではザカートという喜捨が義務化されているため、経済的に下位の人間が富める者に対して金銭的な要求を行うことに対する心理的障壁が「武士は食わねど高楊枝」の日本人よりも低いとされる。金を持っている人間が沢山払うのは義務であって、ケチケチするのはアッラーに背く行為である、というわけだ(正確にはちょっと違うが)。
しかし、だからといって件のオヤジが見も知らぬ外国人に生活費あるいはタバコ代を要求するというのは、彼のブライドにとっては余り面白い話ではないだろう。にもかかわらず、それを敢えて行わないといけないくらい、この町の経済状況は厳しいということなのだろう。特にイスラム世界では共働きという制度が事実上ないため、経済主体としての男性に対するプレッシャーは相当に強い。恐らくそれは某「大手小町」の醜悪さのレベルを凌駕しているだろう。
そんな状況で彼も仕方なく外国人相手にそんなことを時々やっては日銭を稼いでいるのだろう。何とかならんのか、この国は。
博物館に行く。3ディナールだったかの入場料を払い、中を見せてもらう。
案内に立ったのは学芸員の女性。キッチンの様子を見せてもらっていると、料理や編み物をするときに現地の女性(アマージーグ人など)が歌っていたという歌を歌ってくれる。
これが上手。すごいうまい。
意味を聞いたら「惚れてた相手は身分が違いすぎて今の旦那は貧乏人」みたいな内容らしい。ひでえ。つか近代以前の世界では自由恋愛という概念は極めて希薄なのだが、それでもそういう考えってあったのかな。
ちなみにメディナにある家のドアにはノッカーが3つある。それぞれ旦那用、奥さん用、そして子供用である。夫以外の成人男性は既婚女性に対して話しかけてはいけないため、ノッカーの音の高低で誰が呼び出されているのかを識別して応対に出るのである。
保護国時代の通貨。
ちなみに家のバルコニーからはメディナの通りがこんな風に見える。
一旦ホテルに戻り、またひとっ風呂浴びて中庭でだらける。鳥の声が聞こえ、時折それにアザーンが混ざる他は、のんびりした時間が流れてゆく。
昼食までの暇つぶしも兼ねて、トズールの市街を散歩する。トズールは観光客が沢山いるエリアこそそれなりに歩道とかが整理されているのだが、一歩街中に入ると崩れかけた家や明らかに電力を盗んでいるような電線の分岐とかが見られる。サッカーをして遊んでいる子供達はそれでもこちらを見ると「ニーハオ」とか「コニチハ」と声をかけてくる。特に何をせびるわけではないのだが、手を振ってやるとついてくる。おいおい、サッカーはどうしたよ。
一軒の家の扉に目をやると、ファティマの手がついている。これは魔除けとしてチュニジアの家屋のノッカーとしてよく使われているもので、ここトズールに限らずあちこちで見つけることができる。
電器屋の前を通りがかる。仕事柄どんなものを売っているのかなとおそるおそる覗いてみると、冷蔵庫とかはBEKO(トルコの白物中心の大手家電メーカー)やハイアールが多い。いわゆるデジタル家電はほとんどなく、扱っているテレビはサムスンのSlimfitというフラットブラウン管テレビであった。一般に薄型テレビが売れ出すのは年間世帯所得が6000ドルを超えてからといわれるが、チュニジアでは大都市はともかくトズールのような田舎ではまだまだ薄型テレビは高嶺の花なのだ。
また、家を解体した後の空き地は時として写真のようなゴミ捨て場に成り果てることがある。通りがかるといわゆるゴミの悪臭が相当にきついのだが、そんなことには誰も頓着しないようだ。
比較的評判がいいというレストランに行ってみたところ、開店時間になってもまだ全然営業を始める様子がない。喉も痛いし、仕方がないので近所のカフェでミントティー(300ミリーム)を呷って時間を潰す。店内は暇をもてあましたおっさん達がトランプ遊びに興じている。私といえば別に話す相手もいないので、店内のテレビで放送されていたジオグラフィックチャンネルの番組を眺めてだらける。
そうしていると、いきなりおやじさんの一人が私のところにやってきて握手を求めてくる。
「お前日本人だろ」
何かしでかしたか?と慌てていると、
「握手してくれ。日本人はいいやつだ」そうは言っても私がいいやつと決まったわけではないけどね……
「知り合いがチュニスの日本の会社で働いている。礼を言いたい」
「俺が雇ってるわけじゃないよ」
「そうだな。それは面白い。チュニジアでではどこ行った?」
「チュニスとスースとエルジェムとこことドゥーズ」
「いい旅行だったか?」
「大体はいい旅行だった」
「いつ帰るのか?」
「明日の便でフランスに移動する」
「ということはお前はフランス人か?」
「違う。ジャポネだ。フランスの知り合いを訪ねる」
「そうか。良い旅を」
「有難う」
謎なオッサンであった。
例のレストランは30分経っても開店する気配がないので近所の別の店に。
「ラクダのクスクス」となるメニューがあったので頼んでみたら肉が入ってないので無理だとのこと。いつものようにラム肉のクスクスを頼んだ。
まず突き出しで出されるハリッサとパンをモソモソと食べる。う〜ん、このハリッサ、コリアンダーの入れすぎで苦くなってないか? 旅行中ほとんど毎日ハリッサを食べ続けてきたお陰で、だいぶハリッサの良し悪しについては分かるようになってきたぞ。
前菜で頼んだのは「ファティマの指」と呼ばれる揚げ春巻。結構おいしい。もぐもぐ。
そしてクスクス。ううむ、骨ばかり多くて肉が全然ないぞ。おまけにかさを増やすためにジャガイモ入れてやがるし(ちなみに私はクスクスにジャガイモを入れるのはカレーのルーみたいで嫌いだ)。この店はダメだな……
ホテルに戻り歯を磨いて近所のカフェで休憩した後、今度は自転車を借りてサイクリングに出かける。オアシスの見物にはカレーシュという2輪馬車もあるのだが、オヤジとの価格交渉が面倒くさいし、現実的なプライスになったところで一人乗りならコストパフォーマンスが著しく悪いと4WD運転手のA氏にもいわれていたので、健康面からも自転車を借りることにしたのだ。でも1時間5ディナールだからちょっぴり高かった。値切るべきだったか。
自転車を漕ぎながらオアシスとナツメヤシ畑を巡る。だがこの自転車、前かごがないため、約6キロあるカメラザックを背負っての運転になった。普通にチンタラ漕ぐ分には全然疲れないのだが、立ち漕ぎしてパワーを入れるとかなりきつい。まあデジタル一眼とビデオカメラだけで4キロくらいあるからなあ……
道中、結構な数のカレーシュとすれ違う。彼らは大体3〜5人の客を乗せているため、それはそれでCPは良さそうだ。汗だくになって自転車を漕ぐ私とすれ違うと手を振ってくる。
まあそれはいいのだが、馬車に乗ったことがあるかたは知っておいでだと思うが、馬車の馬は道中結構な頻度で「落とし物」をする。ヴィーンのフィアカーなど舗装道路を走る馬の場合、最近はほとんどそれらを回収するための袋をぶら下げて走っているのだが、ここトズールではそんな丁寧な配慮をする人間などいやしない。結果、オアシスの路上はそれらが転々と転がり、大変香ばしい芳香をまき散らすことになる。そんな理由もあるので、トズールに行く場合は2人以上でいってカレーシュに乗った方が汚いものを見ずに済むだろう。
水路のほとりで休憩を取りつつ、チュニジアの旅行について振り返る。
不愉快なことは実に沢山あった。ぶち切れそうなことも、あるいは本当にブチ切れたことも沢山あった。その反対に先進国では中々お目にかかれない人情にも触れる機会はそれなりにあったように思う。
また、僅かではあるが砂漠の自然にも接することができたように思う。
それらの経験は勿論極めて植民地主義的な色彩を帯びたものであることは否定しようがない。だが、それでもこんな遠いところまで旅行をすることは実質的に初めてだったし、世界の広さの一端を感じる事ができたのは有意義だったように思う。先進国の生活世界はこの世界全体からすれば他と比較しようがないほど洗練され、自動化され、非人間化されているのであり、それ故の贅沢も数限りなく存在している。そしてそれらを私は所与の自明なものだと思っていたようなフシがある。電話一つかけるだけでも携帯電話を持っていなければここでは結構な手間がかかるし、近くへちょっと移動するだけでも非常に大きな手間と交渉の労苦を払わねばならないのだ。
つまり、日本では人間なしで済ませられるゆえに便利となっている多くのことが、ここでは人に頼み込み、場合によってはそれに対して対価を支払うことでようやく何とか実現できるようになっている。
そうなると当然のことながら対人交渉を上手くやるスキルが必然的に要求されるし、涵養される。残念ながら私はそういうのが今でも得意ではないし、これからも得意になるかどうかは甚だ怪しいのだが、そのような能力が一定水準でこの土地で生きていく上で不可欠になるとすれば、そんな贅沢は言ってられない。対人恐怖症は日本独特の精神病の一つだといわれるが、それに悩む人はこういう土地で濃ゆい顔のオッサン方を相手に日々価格交渉してものを買うということを数週間繰り返すだけでだいぶ症状は改善されるケースもあるだろう。少なくとも私はそうだった。
心的エネルギーはもらうものではない。経験を通じて、自らのうちに湧き出すものなのだ。
午後5時少し前、時間が来たので自転車を返却し、ホテル前の広場で晩ご飯用のベルベルピザとパンとおやつを買ってホテルに戻る。ホテルのレセプションにて翌日のタクシーを予約する。えー、10ディナールもするの? 地理上の距離ではどう考えても3ディナールしないと思うんだけど……
というわけでこの日は部屋で先ほどの食べ物を平らげ、スーツケースをまとめる作業に入る。ナツメヤシの実が2キロあり、結構体積もかさばるのでほとんどテトリスあるいはぷよぷよのように苦労しながら何とか詰め込む。
翌日は7時にホテルを出発する必要があり、荷物の最終チェックも含めて逆算すると5時起床はマスト。というわけで午後9時頃にとっとと寝る。
12/26(日)
素晴らしい。5時起床。荷物をチェックし、朝食。
定時にホテルをチェックアウトし、空港へと向かう。
さらばトズール。
GoogleMap等でトズール空港の衛星写真(
ここ)をチェックしてもらうと分かるが、この空港の駐機エリアには2機のB747が置きっぱなしになっている。これは湾岸戦争の折にサダム・フセインが自国の航空機をここに待避させたもので、今でも1日一度はエンジンを起動させて動作チェックをしているそうな。ただし実際に見る限りは垂直尾翼とかはボロボロなので、本当に飛ばそうとするならば新たにB777-300が買えるくらいの修理費用が必要になるだろうと思う。
さて、7時15分にトズール空港についてまずは荷物のチェックインを行う。体感では相当に重量がかさんでいたので、こりゃ追加料金確定だなとは思っていた。実際チェックインカウンターの重量計に載せると
27.9kg
アチャー。やっちゃったよ……と思っていると、係員のおやじさんがニヤニヤしながらウインクをする。一瞬嫌な記憶が頭をよぎったが、どうも見逃してくれるようだ。彼はその場でチケットの予約クラスをかなり下位のMクラスから最上位のYに書き換え、許容荷物重量も30kgにしてくれた。有難う、おやっさん……
というわけで今度は余ったディナールを両替すべく挑戦。チュニジア・ディナールの外国への持ち出しは原則時に禁止されているため、外国人旅行客がチュニジアを離れる際には入国時に両替したときの書類を証拠として差し出して再両替をしなければならないことになっている。実際には日本円への再両替をしてくれる空港はチュニスぐらいで、それもほとんど運次第なのでほとんど期待できないに等しい。トズールみたいな田舎の空港ならもっと尚更で、これはほとんどバクチである。ちなみに、再両替ができなければヤフオクでチュニジア旅行者に売ってしまおうかとか考えていた。
(ちなみに業としてこれを行った場合、外為法とかに抵触するおそれがあるので、やめましょう。)
空港のロビーには一応郵便局があり、案内係のおばちゃんによるとそこで両替業務はやってくれるという。ところが開くはずの7時半になっても郵便局は無人のまま。どうしたんだろうね、とおばちゃんに尋ねたところ彼女はいきなり郵便局当番氏に電話をかけ、「人が待ってんだから早く来い」といった旨の連絡をしている。直後郵便局の窓口が開いた。すげえ。
窓口で再両替の依頼をする。案の定、「日本円はないよ」との答え。ここまでは予想済み。
「でもチュニジアディナール持ち出しできないからやばくない?」
「大丈夫だけどね。希望するならユーロにしてやるよ。書類出しな」
おっしゃあ!
というわけでチュニジアで両替の際渡される証明書は最低でもユーロくらいにはしてくれる可能性が高いので、きちんと保存しておきましょう。
手元には約210ディナールほど残っていたので、それをユーロにして100ちょっともらう。これは大きい。
先ほどのおばちゃんに礼を言いつつ、出国手続き(といってもごくごく簡単なもの)を済ませ、待合室に向かう。ただしイミグレのオフィサーは下らない質問を延々としてくるので作業効率が著しく悪い。
8時過ぎ、待合ロビーに入る。一応免税店はあり、酒類とかタバコとか売っていたが、軽く暗算してみたら酒類は日本の通販で買う方が遙かに安いので無視。
で、暇つぶしに壁に掲出してあるダイヤを見たところ、この日の出発便はたったの4便。少ない日だと当然ゼロ。茨城空港も福島空港も神戸空港も佐賀空港もビックリするくらいのガラガラぶりに驚くが、おそらくは夏のバカンスシーズは臨時便とかチャーター便が沢山来るのでこのくらいの規模(といっても搭乗ブリッジなんかないよ)の空港も維持できるのだろう。
8時45分頃、搭乗手続きが始まる。ノロノロと歩いてタラップを昇る。飛行機はA320か。奥には先に述べたフセインの747が2機並んでいる。所属国を隠すため真っ白に塗りつぶしてあるが、風化に伴うボロボロぶりが一層目立つ。
飛行機は定時にプッシュバックをはじめ、トズール空港を飛び立った。
北への進路を取るため、飛行機は大きく旋回する。窓からはオアシスの緑が、それを取り囲む砂漠と共に見える。町を埋め尽くす家の屋根が少しずつ小さくなってゆく。
飛行機は更に高度を上げてゆく。
圧倒的な砂漠の大地の色彩のなかに、トズールの緑が地平線と共に消えてゆく。
フランス編に続く。