2010年チュニジア・フランス旅行記(5)



12/21(火)
この日はケロアンに行くため、7時過ぎに起床。普段会社に行く時並みに規則正しい生活ですな……
それはさておき、さすがここのホテルの朝ご飯は贅沢だった。基本的にチュニジアのホテルの朝ご飯というのは余程の安宿でもない限りビュッフェ方式でかなり満腹な量があるのだが、ここのホテルはパンなどの基本的なものは勿論のこと、サラダやナン(のようなもの)、その他ハリッサなども沢山あり、前の晩就寝が早かったこともあり空腹に任せて思いっきり食ったら気分が悪くなってしまった。でも肉類に豚肉がないのはお約束。

というわけでまたタクシーを呼び、スースの南にある長距離バスターミナルへと向かう。
  
ケロアン行きの長距離バスはSNTIという半国営の長距離バス会社とは別のローカル会社が運営しているため、切符の購入場所が分からず色々な人に尋ねて回る。結果しばらく待って運転手から買うのだということがわかり、時間を潰す。

  
手前のバスからも分かるように、それぞれのバスは一応行き先が書いてはあるのだが、当然の如くアラビア文字だけなので手元の文字帳と照合しつつ一字一字音価を当てはめて読んでいくしかない。そういう風に四苦八苦しながら読んでいると親切な(?)オヤジが覗き込んできて「これは〜行きだ」と教えてくれる……とは言っても先方もフランス語が流暢に話せるわけではないので、行き先の地名をお互いに復唱して親指を立ててOKを示すという極めて原始的なコミュニケーションに頼ってバスを見いだした次第。

バスは定刻から15分程度遅れつつも出発。満員でかなり混み合う。バスの車内では妙な歌謡曲風のメロディが延々流れている。途中でDJのトークが入るところからして、おそらくは地元のFMか何かを流しているのだと思うが、大半の人は気にするでもなく携帯電話をいじってSMSを送ったり、或いは寝たりしていた。

  
そうこうしているうちにケロアンのバスターミナルに着いた。SNTIのバスターミナルとは違って、このバスターミナルはメディナからかなり離れたところにあるため、メディナに行くためにはタクシーを拾わねばならない。ところがタクシーに乗ろうとすると子供が数人物乞いに集まってくる。正直ゲンナリする光景だが、タクシーのオヤジさんはなにやら大声で喚き立てて子供を追い払う。ケロアンは巡礼者も多くそれなりに賑やかな街なのだが、それでもこのような子供がいるというのは気持ちのいいものではない。

     
市内をうろつく。どうもこの街はスースより更に景気が良くないようで、道案内をしてやるから小銭をよこせと子供がしつこくまとわりついてくる。余りにもしつこいのでスリ対策も兼ねて数度怒鳴らざるを得ないような有様だったのだが、当然この子供達の向こうには親がいるわけで、子供にこんなことをさせているということは当然親も失業していると見ていいだろう。

そんな嫌な気持ちにもなることは少なくなかったのだが、細い路地を歩いているとおっさん二人組が道ばたで座ってひなたぼっこをしているのに出くわした。そのうちの一人が、私に声をかけてきた。また物売りかねと思ったのだが、
「どうだいチュニジアは?」
「いいところもある。当然悪いところもある。」
「それぞれどんな感じだ?」
「いい点は治安がいいところ、まあまあ親切な人も沢山いるということ、食べ物がおいしいということだ。悪い点は、何かにつけて金をせびる失業者がいる点だ」
「ああ、この国は確かにいい状態ではない。申し訳ない」とオヤジ。
「いい点も悪い点もあるのはどこの国だって同じだ。日本だってそうだ」
「その通りだ。良い旅を」

     
そして、いくつかのモスク或いは霊廟の見学可能なところを見たあと、グランドモスクに行った。ケロアンは後でも述べるがムハンマドの有人だったシディ・サハーブの霊廟があることから、以前から聖都として知られている。特にそのモスクはチュニジアでも最も美しいとされているものなのだが、確かに柱廊の彫刻はローマの柱を再利用しつつも見事にまとめられており、美しい。

     
また、このモスクについては、ミフラーブについての写真を撮らせてもらうことができた。他のモスクでは近づくだけでも嫌な顔をされることがあったのだが、ここのモスクでは管理人の老人に可否を尋ねたところ、遠くから撮る分にはOKとのことだったので撮ってみた。
ちなみにミフラーブというのはカーバ神殿の方角を示す聖龕。ムスリムの礼拝は必ずカーバ神殿の方角に向かって行わなければならないため、モスクには必ずミフラーブがあり、モスクで最も神聖な部分でもある。なお、モスクがないところで礼拝をする場合にはキブラコンパスなどの方位磁針の一種を使う。

というわけで、グランドモスクの見学を終えて、市内をぶらつく。少々道に迷ったので、シディ・サハーブ霊廟への道を道ばたにいた土産物売りに訊いたら、これが運の尽きだった。方々案内してくれたのはいいのだが、最後に敷物屋に連れ込まれ、これを買えあれを買えとしつこく説得される。こちらは適当に言葉を濁して交わしていたのだが、あまりにしつこいので、
「買い手を脅迫して売るようなやり方は正しい商売ではない。私はこれを要らないといっている。それは分かるか?」
「分かるだがお前にとってこれははした金だろう」
確かに提示してきた敷物は8ディナールだった。先進国プライスなら確かに安いが、使い道がないものを買っても仕方がないし、第一ここまで手ひどい扱いを受けたらこちらだって意地でも買うものか。
「そんなことはない。そもそもだ。お前がこの敷物を私にもし売りつけたとしよう。私はお前とこの店がいかにひどい商売をしているのか、日本人達に知らせることになるだろう。そうすればお前らは長期的には最も金払いのいい客を失うことになる。それが分からないのか?」
「ああ、分かった。もういい、あばよ」

というわけでこのくらい強気に出ないとアラブの商売人には丸め込まれます。正直疲れた。

で、地図を見ながら今度はシディ・サハーブ霊廟へと向かう。ところが観光ガイドの地図は縮尺がメチャクチャで全然たどり着けない! かといってさっきみたいな土産売りに捕まるのは癪なので、大まかな方向だけ見当を付け、途中カフェで休みながら進んでいく。
幸い、途中で小さなモスクの前を通りがかったとき、管理人のオヤジさんがいたので道を訊くと、かなり親切に教えてくれた。でも距離はかなり間違っていたけどね。

     
シディ・サハーブは先にも書いたようにムハンマドの友人兼床屋で、死ぬまでムハンマドのあごひげを保管していたことで知られる。そんなわけでこの霊廟はシディ・サハーブのものでもあると同時に、ムハンマドのひげも保管されているという二重の意味で霊験あらたかな場所らしい。実際、内部のミニアチュールは精緻を極めていて、よくまあこんなに細かく細かく作ったなあとビックリすることしきり。また、一部の装飾は大理石の透かし彫りになっていたりしており、一見の価値はあると思っていい。

     
     
ただし、ここも他のモスク同様、霊廟の本陣はムスリムしか入ることができないし、遠くからも写真は撮ることができなかった。ただし、遠くから見る分でもその棺は金銀で豪華に装飾されており、参拝者は入り口で手足を清めたあとその周りを歩いて願い事を唱えているようだった。
※なお、手足を清めるのはムスリムの礼拝でも行われている。

というわけで一通り見るべきところは見たので(アグラブの貯水池は余り見ようという気が起こらなかった)、市内にタクシーで戻り、旧市街をブラブラしつつレストランを探す。

     
しかしかなり時間も遅くなっていたということもあり、開いているレストランも少ない。結局メディナ中心部にある「大衆食堂」という名のレストランにて仔羊のクスクスを食べることにした。
で、ハリッサをパンに塗りたくりながらクスクスを待っていると、足下に猫がじゃれついてくる。どうも食べ物が欲しいらしい。というわけでパンをひとかけら投げてやると、ササッと食べてまたこちらを物欲しそうに眺めている。それを数回繰り返すとさすがにこちらも飽きてきたので、ハリッサを指に塗って鼻先に近づけてやろうとしたら、さすがに臭いに感づいて逃げていってしまった。ごめんね。
ちなみに問題のクスクスはそこそこの味でした。う〜ん、これなら自分で作ったやつの方がおいしいかも。

     
さて、この頃からだんだん私の気管支の状態が悪化し始めて来ていた。チュニジアは車が多い割には大半の車のフィルターが機能していないに等しいので、ものすごく空気が汚い。スースは港湾都市なのでその点まだ救いがあるのだが、ケロアンは内陸部なので相当に空気が汚い。また、雨もそんなに降らないため元々土埃が多い。そんなこんなで咳が出るは鼻水は結構出るはで悲惨なことになっていたので、バスターミナル近くにある雑貨屋でちり紙を買い求めようとしたところ、
「1ディナールだよ」と店番の娘(13〜4歳くらい)がのたまう。
「そりゃあんまりだ。せいぜい200ミリームだろ」
と異を唱えると、店の奥からラスボスのババアが出てきた。多分母親だろう。
「お前にとっては1ディナールくらいはした金だろう」
もう聞き飽きたよ、この言葉……(涙)
「そんなことはない。はした金ならこの店では買わない」と抗議するとババアは渋々と釣り銭を渡してきた。合計700ミリーム。なんでポケットティッシュ一つ買うのにこんなに苦労せにゃならないのよ……。

で、何とか帰りのバスに乗る。変な東洋人がバスに乗っているのが余程珍しかったのか、前の席に座っていた女の子(5歳くらい)が頻りに話しかけてくる。やれ名前は何だの、どこから来ただの、仕事は何をしているのだの、いずれもたわいもないことなのだが、丁寧に答えてやった。途中で父親が戻ってきて、色々と与太話をしたりもした。

夕刻、午後4時半頃、そんなこんなでスースのホテルに戻る。明日はトズールへの移動日なので、ホテルのショッピングモールで鞄でも買うか……と思っていたところ、レセプションから
「ヘイ、ムッシュウ!」と私を呼ぶ声がする。明日の旅程についての旅行代理店からの確認かな、と思ってレセプショニストに話を聞くと、
「いいニュースだ。スーツケースが出てきた」

ブラボーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!
お姉ちゃん(ラミアとか言ったと思う)、シュクラーーーーーーーーーーーン!!!

思わずレセプショニストの手を握り、喜ぶ。

だが、当然気になることがある。それをどうやって取り返すかということだ。
トズールに送って貰うのも一つの方法ではある。しかしこの国の労働倫理の現状を考えると、甚だ心許ない。というわけで急遽空港のロスバゲ係に電話し、荷物を回送しないように依頼、チュニスに戻って空港から直接荷物を引き揚げる方法を採ることにした。

SNCFT(チュニジア国鉄)のサイトで時刻表を見ると、18時過ぎのチュニス行きの便がある。当初はこれに乗っていこうと思っていたのだが、タクシーの運転手曰く、
「ルアージュで行け。1時間ちょっとで着く」
とのことだったので、急遽予定を変更し、ルアージュ(乗り合いタクシー)にてチュニスに戻ることにした。

ルアージュは大体7〜9人乗りで、全員分の切符が売れた段階で出発となる。従ってここはちょうど待っていたチュニス行きのルアージュについて残りの切符5人分を全て買い占め、すぐに出発してもらうことになった。計算上ルアージュには4人しかいないはずなのだが、出発した段階ではなぜか6人乗っていた。あれ?

夜の高速道路を飛ばしてルアージュは一路チュニスへと向かう。途中トイレ(とは名ばかり)の休憩をはさんで、時速130キロくらいでどんどんと北へ進んでいく。車内は携帯電話に保存したMP3を流してカラオケをやったり、あるいはFMの番組に合わせてみんなで歌ったりと相当うるさい。それはそれで面白いのだが。運転手はゴホゴホと咳き込む私に気を遣ってか、飲みさしのミネラルウォーターのボトルを渡してくれたりした。

で、7時20分。約1時間半でルアージュはチュニスのルアージュステーションに着いた。またチュニスに戻ってくるとは思ってなかったよ……と感慨に浸るまもなくタクシーを拾い、空港へと向かう。路行くトラックを押しのけ、跳ねとばし、私は黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆくベンアリ政権の、十倍も早く走った。一団の旅人と颯っとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。「欧州の空路の混乱は、今週いっぱい続くらしいよ」……というのは冗談だとしても、空港に着いたら鈍足の私も脱兎の如く走った。ロスバゲ窓口行き通路を走り抜け、ロスバゲ置き場に向かうと……あった! ほぼ一週間ぶりに我がスーツケースを回収できた! ロスバゲ置き場管理人の係官は今回のドタバタで顔なじみになっていた人でもあった。「良かったな」と声をかけてくれたのは喜ぶべきだろう。
※実際欧州空路の大混乱は12/26位まで続いていた模様。TF1のニュースを見ていたらクリスマスのレヴェイヨンをCDGのホールでやっている乗客の姿を流していたし。

スーツケースを抱え、チュニス駅に向かう。時刻表には8時50分発のトズール行き夜行がスケジュールされている。出発まではだいぶ時間があったがとりあえず切符を買い求め、駅に併設されているスーパーで今晩の夜食兼夕食、そして頭に来たのでティッシュを一箱とポケットティッシュ1ダース詰め合わせを買う。
トズール行きの夜行列車は満員だった。私の席はちょうど真ん中にあたり、対面側にも席があるため足の置き場に困る仕様だった。しかも満員で立っている客もいるような有様だったので、スーツケースは網棚に載せざるを得なかった。危ないな……
列車は定刻を30分弱遅れて出発した。スーパーで買った菓子類とサンドイッチをかじりつつ真っ暗な車窓を眺める。前日同じルートをたどったときは景色は見えたものの気分も重く、正直写真を撮るのも嫌な状態だったのだが、今回はとりあえず一安心という安堵の気持ちが強い。
私を囲むように座っていた乗客は、チュニス大の学生で、トズールに帰るところだったそうだ。彼の国では大学生と言えばそれなりのエリートなわけだが、彼らは車中で何やら寄付を募ると共に署名を求めていた。こちらは外国人だからということで呼びかけがなかったのだが、書面を見る限りは何やら彼らの活動に公的支援を求める、あるいは問題解決の手助けを求めるような内容だったように思う。

一通り署名活動が済むと彼らも疲れ果てて眠ってしまったのだが、そのうちの一人は余ったお菓子を私にくれるなどした。チョコのお菓子だったが、疲労しきった体には大変しみた。と同時に、自分が買ったお菓子を彼らと分かち合わなかったのは賢明ではなかったな、と反省もした。

11時頃、列車はスースに着いた。何せ何のアナウンスもなければドアも自分で開けなければならないので、到着時刻については自分で覚えておかなければならないため結構な緊張を強いられた。まあ問題なく降りられたので結果オーライとしよう。

スースからは前日同様タクシーを拾ってホテルへと戻る。ホテルには先ほどのレセプショニストがいて、こちらがガッツポーズをするとあちらも「good job」とか何とか叫んで答えてくれた。こういうのは素直に嬉しい。


  
部屋に戻り、スーツケースを開く。久しぶりに出てきた部屋着を着て一通りくつろぐ。いやー、ラフな格好で暖かく寝られるというのは本当に有り難いものだ。また、スーツケースに分散していた現金類も無事確認。本当に一安心した。

そんなわけで、「チュニスエアー」日本事務所にスーツケース発見の連絡を入れたところ、担当の女性はこう言った。
「え? そうなんですか? おめでとうございます。良かったですね」

え?いくらチュニスエアーがワールドトレーサーに加入していないといっても、そちらで日本人顧客の手荷物の現状は確認できてるんじゃなかったの?

なお、この「チュニスエアー」なる連中のダメぶりについては、いわゆるCRMやリスクヘッジという観点から余りにもダメダメすぎて学ぶべき点が多いので、稿を改めて述べることにしよう。

とりあえず、この日はとりあえず人心地着いたし、翌日は7時半にレセプションに行かねばならないので、チュニスで購入した残りのサンドイッチなどを平らげ、2時頃就寝。




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